2019
栃木市5 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
梅沢城 |
梅沢城①?(写真掲載のみ)位置(電子国土へのリンク)
第1回 老梅の囲いの中は梅沢館 2013/08/17 |
梅沢城にやってきた。 華蔵寺の境内東側が城だという。 つまり寺のお隣、福島材木店さんの敷地が城跡ということになる。 華蔵寺の参道。 この左手にあるのが土塁と言われる。 土塁はL字型に残っており、 その頂点部分にこの看板。 ”老梅の囲いの中は、梅沢館” ・・・・わかりやすい。 夏なので、細かな調査ができないが、土塁の上には水路が作られている。 ぐるっと、華蔵寺の周りを一回りして遠景を撮影。 撮影場所は、完全に城外と思われる。 ただ、ここからお墓を越えると。。。。 ここにも、土塁がある! しかも、華蔵寺横の土塁と同じく、頂部が水路となっている!! 一つの疑問が生まれてしまった。 年を取ると、物事をすぐ疑いたくなってしまう。 城とは無関係な地に、梅沢城と同形態の土塁がある・・・・これは何を意味するのか? そう、 このあたりでは、畑の水を確保するために、土塁状の水路を築くのでは?という疑問だ。 山の麓の微高地から効率的に水を運ぶには、土塁状に土を盛り、水路を設ける事は容易に理解できる。 こりゃぁ聞き取り含め、もう少し草が無くなってから調査に来た方が良さそうだ。(暑くてたまらんし・・) ・・・ということで(つづく) |
第2回 ますます怪しい梅沢城 2013/11/09 |
【解説】 梅沢城に再びやってきた。 前回、『ちょっと怪しいかな?』と思ったので、今回は仲間を連れての再訪である。 今回の争点は、土塁上にある水路。 また、現地縄張り図を作成することによる、総合評価である。 車をいつもの華蔵寺駐車場に置かせていただき、 早速調査開始。 で、出来上がったのが、以下の縄張り図である。 やはり土塁がL字型にあるものの、その上はすべて水路となっていた。 また、何よりも怪しいのが、 土塁内部が、周囲より標高が低い事。 山の斜面途中に築かれる城を除き、このような平城での前例は聞いたことがない。 栃木県に協力していただき、現地の明治の地籍図を編集させていただいた。 それが以下である。 お分かりのように、確かにL字の水路と土塁?はこの時代からあったようである。 ということは、安易にこの土塁を近代の物と判断する事は、少々乱暴な気もするのである。 また、地籍図の社寺(=華蔵寺)の左上の字名は、『木戸内』であり、城館関連地名である。 ひょっとすると、この水路は、もともと梅沢城として構築されていた土塁の上に、 さらに土を被せ、水路を引いた可能性もある。 しかしながら、現在目にできるこの遺構を、中世の物とする事は当HPでは避けたいと思う。 ・・・ということで(完了) ※追加情報 この城の後方の山にも遺構はありません。 |