2019




栃木市5
  枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある
。  

梅沢城



梅沢城①?(写真掲載のみ)位置(電子国土へのリンク)  

 第1回 老梅の囲いの中は梅沢館   2013/08/17 
 
 梅沢城にやってきた。
 
 華蔵寺の境内東側が城だという。

 つまり寺のお隣、福島材木店さんの敷地が城跡ということになる。







 華蔵寺の参道。

 この左手にあるのが土塁と言われる。
















 土塁はL字型に残っており、

 その頂点部分にこの看板。


 ”老梅の囲いの中は、梅沢館”

 

  ・・・・わかりやすい。



















  夏なので、細かな調査ができないが、土塁の上には水路が作られている

                






 ぐるっと、華蔵寺の周りを一回りして遠景を撮影。


 撮影場所は、完全に城外と思われる。









 ただ、ここからお墓を越えると。。。。 


















  ここにも、土塁がある!

 しかも、華蔵寺横の土塁と同じく、
頂部が水路となっている!!

                 


              なんか、怪しくねっ!?

 一つの疑問が生まれてしまった。
 年を取ると、物事をすぐ疑いたくなってしまう。




 城とは無関係な地に、梅沢城と同形態の土塁がある・・・・
これは何を意味するのか?



 
そう、

 このあたりでは、
畑の水を確保するために、土塁状の水路を築くのでは?という疑問だ。






 山の麓の微高地から効率的に水を運ぶには、土塁状に土を盛り、水路を設ける事は容易に理解できる。
 
 こりゃぁ聞き取り含め、もう少し草が無くなってから調査に来た方が良さそうだ。(暑くてたまらんし・・)

          
               





                  
・・・ということで(つづく)



 第2回 ますます怪しい梅沢城   2013/11/09 
 
 【解説】

  梅沢城に再びやってきた。
 
 前回、『ちょっと怪しいかな?』と思ったので、今回は仲間を連れての再訪である。

           

 今回の争点は、土塁上にある水路。
 また、現地縄張り図を作成することによる、総合評価である。

   






車をいつもの華蔵寺駐車場に置かせていただき、
早速調査開始。

















 で、出来上がったのが、以下の縄張り図である。

           





 やはり土塁がL字型にあるものの、その上はすべて水路となっていた。

 また、何よりも怪しいのが、

 
 土塁内部が、周囲より標高が低い事。
 
 山の斜面途中に築かれる城を除き、このような平城での前例は聞いたことがない。





      やっぱ、めちゃ怪しい...


 栃木県に協力していただき、現地の明治の地籍図を編集させていただいた。

 それが以下である。
         

 お分かりのように、確かにL字の水路と土塁?はこの時代からあったようである。
 ということは、安易にこの土塁を近代の物と判断する事は、少々乱暴な気もするのである。

 また、地籍図の社寺(=華蔵寺)の左上の字名は、『木戸内』であり、城館関連地名である。




 ひょっとすると、この水路は、もともと梅沢城として構築されていた土塁の上に、
 さらに土を被せ、水路を引いた可能性もある。


 しかしながら、現在目にできるこの遺構を、中世の物とする事は当HPでは避けたいと思う。

 



               
・・・ということで(完了)

 
※追加情報 この城の後方の山にも遺構はありません。



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