2019
栃木市3 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆@記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆A『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆B図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
大宮城sk | 小山西城 |
『小山西城(仮称)』位置(電子国土へのリンク)
地籍図・航空写真にくっきりと 2013/07/12 |
今年から始めた栃木市の調査。 地租改正時に作られた、旧大平町の地引絵図を調査していたところ、 旧瑞穂村北武井のなかに 「西城」の字名が! 他にも”西古城”なる字名も隣接する。 こりゃ、城であること間違いなし! 早速、地引絵図の現在地を確認。 ところが・・・・・ 「この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。」 耕地整理のため、 現在は全く しかし、地籍のトレースがこれ。 間違いなく、城の存在を示している。 ”堀は水田になりやすい。土塁や曲輪は高地になるため、畑になりやすい。” このセオリーに基づいて描いたのが下図である。 当然のことながら、@が主郭であり、Aがそれを囲む外郭。 Aには横矢を意識した塁線の折れがはっきりと確認できる。 @の虎口は枡形であったと想像できる。 地籍には土塁線を思わせるものも現れている。 いずれにしろ、残っていれば結構な城郭なのではないか? 図は左が北になります 古い航空写真にも、バッチリその勇姿が 見て取れる。 もったいないなぁ。 方位は左が北 ■ 国土地理院航空写真 さて、もう少し全体的な位置を俯瞰してみると、 この小山西城は 小山城と栃木城のほぼ中間地点に当たる。 これは、一体何を意味するものなのか・・・・・? 「この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。」 実は、まだ何も調べてないので、全然わかってましぇん。(^_^;) |