2019






那珂川町3 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします  

 ◆@記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆A『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆B図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある

  


鳴神山 武部城





鳴神山位置(マピオンへのリンク

 撃沈 鳴神山!2011/02/18

しぼれさん、余湖くんのホームページの情報から(
http://homepage2.nifty.com/yogo1394/totigi/nakagawasi.htm#narukami
当地を訪れた。

しかし、途中で体調を崩し、あえなく下山することに・・・。

本日の成果は以下である。

南の尾根筋の遺構のみ、確認してきた。

          



 


車を山の峰続きに止め、調査開始。
















峰続きには、土塁上の凹凸がある。














主郭手前の堀切。明らかに城跡だ。














南尾根の切岸。

曲輪内部の削平はいまいちだが、
切岸はしっかりしているのが特徴である。










 


那珂川町新城確認第3弾 鳴神山2012/03/12
 



 前回、体調不良で下山してしまった鳴神山。

 今回の再訪で、やっと図面を書き上げた。



 近くの蕎麦屋で見せてもらったかつての馬頭町の絵図。
 絵図には信仰の山として、”鳴神山”の記載と共に、
 頂上の祠(社?)まで明確に描かれている。
 昔は沢山の人達が山の上まで登ってきたと思われる。





 図の右下手(東方)に伸びる道が、その道である。











 
【解説】
  


まず、全体を俯瞰してみよう。

色々な考え方があると思うが、
管理人は
-オレンジのラインで囲まれたエリアを城域と考えている。


真北に続く尾根や、北東に伸びる細長い尾根上は
平らな部分や、土塁に見えるところもあるが、
城外と考えた。

理由は、ここまで城として取り込んでしまうと
、ものすごい傭兵人数が必要となる。
後ほども述べるが、この城の北方に、
それだけの人を動員する理由があるだろうか?

また、完全に遺構として確認できる部分は、
南向きに重きを置いている事は確かだ。





主郭を中心に、大きく3方に尾根が伸びる。

各尾根にはそれぞれ遮断の堀を設けている。

北西の2つに伸びる尾根上は堀切り。
北東に伸びる尾根は、
堀切と言うよりも”横堀”でシャットアウトしている。
南に続く尾根は大きく2本の堀切を配している。

各堀はかなり埋もれてしまっているようだ。





 では、その遺構を紹介していこう。









          鳴神山を旧馬頭町から望む。


                                          






 城へは北方の林道からアプローチ。
















 主郭から縦堀を上から臨む。

 現在は山道が通っているが、
 この縦堀はAの曲輪とBの曲輪の遮断として
 設けられたと考える。
 


   








 縦堀コーナー部


 Aの曲輪は、若干Bより高い


   














 主郭から堀切方向を臨む。


 





 






 

 この曲輪は明確な加工が無く、緩傾斜となっているが、
 どうやら、堀切を渡りAに入った人は
 Cから主郭に入ったと考える。












 


 唯一土橋の残る堀切。













 土橋は明瞭に残り、斜面に向かう。








  













 堀内部。

  










 土橋の先は浅い谷になっている




 








 
 よく観察すると、谷の中に山道が伸びている。
 この土橋は図のように谷の中の道をオレンジ色の様に取り込み、
 主郭へ導入させていた様に見える。










 
 真北に伸びる尾根であるが、
 土塁状に掻きだされた様な跡がある。
 
 どうしてこのような地形になったかわからないが、
 城のものでは無いと判断した。


 





 尾根を狭めているように見えるが、自然の崩落と考えた。



 











武部城(仮称位置(マピオンへのリンク

那珂川町新城発見!第4弾 武部城 2012/03/12

【プロローグ】

 さて、下記の地図を見ていただこう



 那珂川町・馬頭の町から今回発見された3つの城・石井山、おしろ山、鳴神山。
 そして、既知の武茂城、武茂東城をプロットしてみた。


 中世の時代、城間の情報収集は、肉眼情報、伝令や狼煙。
          それを考えた時に、下の地図を見て、皆さん何かお気づきにならないだろうか?

     
       そう、     
          
鳴神山から石生山の間に、ポッカリ穴が開いた様に見える・・・・

    

                               
■Google MAPより

             つまり・・・・















        この山、怪しくねぇぇかぁ!! 

  
 
                                             ■Google MAPより

  この場所は、馬頭市街の東の入り口に当たる。
  馬頭の町に入ってくる侵入者の監視にはもってこいの場所だ。

  また、ここからは、石生山が本当によく見える。
  石生山が敵の城だろうが味方の城だろうが相手の動向を知るにはうってつけの場所である。



          胸を躍らせ、当地で管理人が見たものは・・・・・・・・・!



  















    これである!!







 

原図ですみません。


  またまた城発見だぁ!

【解説】 



城は、那珂川の支流、武茂川が流路を東西から南北に変える地点、三角点・標高234,5mにある。



西の鳴神山、武茂城よりも標高が高く、
山上からは両城とも眺めることが可能である。
(今は、木々で見えないが)

また北は武茂川沿いに大山田方面、
そして、石生山もよく見える。




この武茂、鳴神山、武部、石生山が、何かしらの関連を持って築城されたのは間違いないだろう。







言うまでもないが単郭に堀切を配すシンプルなもの。遺構はしっかりと残る。
東は切り立った崖。北は峰続き。南は急斜面。西は比較的緩い尾根が山麓まで続く地形だ。

車を健武神社前に停車させていただく。

目的の城は、写真奥の山。


山に上がると”天然佛”の碑。
行事の趣旨はよくわからないが、当番制で地元の人が山に上がっているという。

    小さな祠もある。





山上に広がる綺麗な切岸。
しっかりしたものだ。




 











 切岸の端末には・・・
    














                一番目の堀切だ。

          ◆マウスを乗せよう




 堀の端末は若干の縦堀状に。
 
















 2番目の堀はぐるりと巡る。
 


















 最北端の堀切。
 かなり埋もれているようで、
 しかも、作業道が遺構を破壊していると思われる。
















【付記】 

 武部城のちかくにある蕎麦屋で、この山の名前を聞いた。

     
店主 『しらねぇなぁ〜。』

 私が、この山で城の遺構を発見したと告げると

     
店主 『あそこは、城じゃね〜よ。城は、武茂と松野にあるだけだ!』

 と、
全否定

 聞く場所を間違えたかな?
 
 でも、蕎麦はめちゃくちゃ、うまかったです。

 サービスのふきのとうの天ぷらも最高だった。








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