えっ!こんなすごいの?!ここ・・。 2014/10/18 |
最近、また運動不足で、太ってしまった。
今日は、天気もいいので、ちょっとエクササイズも兼ね、山登りしたい。
”どこに行こうかな・・・
そうだ !
当HPの手薄な場所、鹿沼の城に行こう!”
行き先は、以前から気になっていた金ケ沢城に決めた。
山が高くて、ちょっと奥まっているが、
資料を見ると、未整形の曲輪と堀切だけの小さな城に見える。
”ここだったら、いい運動になるな。
時刻は、午前10時30分。
山に登っても、昼前からは見れるな・・・”
そもそも、軽い気持ちで出かけたのが、誤りだった。
山は____
怖い。
午前10時30分
駐車場は、はっきり言って、無い。
古峯原街道から、天王橋で大芦川を渡る。
正面の神社横、小さなスペースに駐車させて頂く。
神社から城跡へ向かうが、最初はすごい急斜面。
よじ登るように、4つ足で登る。
正直言って、あまりお勧めできないルートだ。
しかし、登りつめれば、
ご覧のような緩やかな尾根に出る。
楽勝!!
と思っていたら、ここからが長かった_____
長い登りが続き、主郭に着いたのは、午後12時前だった。
既存の調査図面を見た感じだと、せいぜい1時間もあれば、余裕で描けると思っていた。
ところが、ギッチョン!
金ケ沢の遺構のスケールに驚いた。
それぞれのパーツが結構大きい。
削平地も少なく見えるが、斜面の縦堀、堀切の規模は半端じゃない。
「 こりゃ、ゆっくり描いてたら日が暮れるぞ。
あんまり、時間がないな・・・・・・・・・」
◆現地縄張り図
管理人にはトラウマがある。
若かりし頃、馬鹿な仲間と、神奈川の足柄城で遭難しかかった経験だ。
山懐深い城にも関わらず、帰るための時間を考慮しなかった。
そのため、下山途中で日が暮れてしまった。
運の悪いことに、懐中電灯も持ち合わせていなかった。
とにかく早く帰りたくて、こともあろうに危険を顧みず、沢伝いに下山した____
管理人の暗い経験である。
そんな不安が、今、蘇る。
秋から冬にかけては、日照時間がどんどん短くなる。
山の中で、暗くなられるのは、もう嫌だ。
なにしろ、ここも山深い。
何かあっても人は、まず来ないだろう。
だから今回、下山を考慮し、金ケ沢の写真があまり撮れてない。
ま、仕方ないか___________。
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【解説】
下は、主郭を巡る空堀である。
先人の縄張り図のイメージから、大した規模ではないと決めつけていたが、とんでもない。
結構、しっかり削平されているので、ビックリだ。
今は途切れ途切れになっている部分もあるが、おそらく全周に堀がまわっていたのだろう。
しかも、主郭直下にはクランクした大きな縦堀があるではないか!
これにもビックリ。
わかりにくいが、縦堀はまっすぐ下に降りて、写真右手に折れ、再び下に向かっている。
◆マウスを乗せよう
主郭南には巨大な堀切がある。
堀切は両サイドが縦堀となり、斜面を下る。
写真は、その縦堀部分を斜面より見上げたもの。
主郭南のメインの虎口。
”鹿沼の城と館(鹿沼市業書7)”では、明確な枡形虎口となっているが、
現状はかなり不明瞭___
__ただ、重要な虎口であるのは間違いなく、虎口周りが縦堀で固められている。
さて、この虎口廻りを詳しく見てみよう
虎口から下には道痕①がのびている。
先に進むと、道は消えてしまうが、
縦堀2と3の間に隙間があることから、
道は、この間隙を通っていたと考えられる。
また、図に示すように、道痕②も見受けられる。
土塁が2段構えになっている所から、
ここも通路として使用されていた可能性もあるが、
逆に、
縦堀4と縦堀2の間を上がってくる敵を防ぐために、
土塁を高くしているとも考えられる。
よって筆者の考えはこうだ。
まず、尾根Aを登ってきた敵を、縦堀4が山腹への敵の回り込みを防ぐ。
自然と敵は、縦堀2と3の間隙方向に導かれる。
これが規制②。
その後、今度は縦堀1が、敵の山腹への回り込みを防ぎ、虎口に導かせる。
これが規制①
つまり、この規制①②の目的は、
尾根Aから上がってくる敵を、虎口に誘い込む為にある。
これは、非常に巧妙な技と言わざるを得ない。
さて、この築城者の警戒している方向は、
縄張りから推察することができる。
この城の場合、
赤く網掛けした方向を警戒していた。
理由は、二つ。
第一に、
尾根と尾根を繋ぐ曲輪・ルートの配置である。
敵の侵入経路に備えて、
これらは臨機応変に兵を移動できるようにしている。
第二に、
この方面の尾根に対する、堀切、縦堀の数が多い。
これも、警戒方向を示す理由となる
さて、この警戒方向を地形図で見ると、どうなるであろうか?
それを示したのが下図である。
◆国土地理院
金ケ沢城は、明らかに東方向を警戒している。
そして、その警戒する東の懐には、綺麗に久我城と龍階城が鎮座する。
聡明な方は、私は何が言いたいかお分かりであろう。
そう。。。
この3つの城がセットになって、この領域を支配していたと考えられないだろうか?
標高の低い久我城と龍階城。
管理人には、その目の届かないところを、この金ケ沢城が補佐しているように見えてならない。
”鹿沼の城と館(鹿沼市業書7)”では、金ケ沢と久我城は地元・久我氏の城であったという。
龍階城については築城者が不明としているが、上記より管理人は、久我氏の城と考える。
同じく”鹿沼の城と館(鹿沼市業書7)”では、立地条件と周辺地名から、
龍階城は、久我城・金ケ沢城に備えた陣城と評価されており、管理人の見解とは異なっている。
こりゃ、龍階城も行かないといけないな____。
読者の方々は、いかがお考えになるであろうか?
あたりを見回すと、日が陰り始めたような気がしてきた。
「やばい!山の中で日暮れになったら大変!」
昔の暗い過去が脳裏をよぎる。
急ピッチで城の図面を仕上げ、とにかく下山しなければ!!!_____
大汗と冷や汗が入り混じる。
気ばかり焦る!!
しかし、大慌てで下山してみれば、時刻はまだ三時だった。。。。。。。。。。。。。
山は____怖い。
おかげで帰りの運転中、足がつって、どうしようもなかった。
(金ケ沢城おわり)
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