2019










鹿沼市3  枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします

①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある

鶴巻城sk 金ケ沢城sk



鶴巻城sk 位置マピオンのリンク

もう我慢できなくて・・・ 2014/09/28 10/4編集更新
 

 もう、
が、がっ、がまんできねーぇ

 まだ9月だというのに、どうしても・・・・

  








 やってきちゃいました、鶴巻城!
















 車は都賀製作所さん前、せせらぎのそばに置かせてもらう。







 この工場はクレーンのパーツを作る大きな工場である。

 背後の山が鶴巻城である。



 工場の方にお断りしたら、
 作業場の中を通してていただき、
 山に取り付く近道を案内してもらった。



 
               
                山のとっかかりは、すごいブッシュであるものの_______












 




 _____山に入れば、ご覧のように、結構綺麗。


 工場の方によると、頂上に神社(実際は祠)があり、

 年に1度しか登らないから、道は荒れ放題だという。



 なるほど、獣道のような道が、
         あるような、無いような・・・・










    

 
   ◆鶴巻城縄張り図

          



    








 したから、適当に尾根を上がっていくと、

 3段ほどの切岸が見えて来る。


 



















 3段の切岸を登ると、なるほど小さな祠がある。
 
 ここが主郭である。

 主郭は、結構広いのだが、東に緩く傾斜する。



     
















  さて、本城のメインが、この堀切。 綺麗に残っている。
              COOL!
          






堀切を主郭側から望む。


登山道なのか、当時からのものなのか、
切岸を直登する道が残る。

 




















堀切を南から望む。


 















  堀切と主郭をパノラマで撮ってみた。ちょっと、変かな?
   
   







主郭周りは、
幅のない細い曲輪が一巡する。

人が駐屯するというよりは、
戦闘時の人の移動を考えた作りだ。


中には、曲輪なのか、獣道なのか、
区別の付きにくいものもある。









 あと、ちょっと気になるのが、この南尾根の縦堀
(写真がうまく撮れないで申し訳ない)。

緩い尾根を潰しているようにも見えるが、登山道にも見える。

他の尾根にはこのような遺構は無いから、
やっぱ、登山道かな?
でも、やっぱり違うような・・・・?

                 保留とさせていただきたい。






 とにかく、この鶴巻城は、 広い主郭に主力を置き、
 それを取り巻く細い曲輪で、城の攻防に素早く人力が移動できるようにしている。
 これが、この城の攻・防コンセプトと言えよう。












西の堀切からつづく細尾根。

その先もしばらく山を歩いてみたが、
遺構は見られなかった。

このことから鶴巻城は、
基本単郭の城と言えよう。












                


                
  (鶴巻城終了)









金ヶ沢城skマピオンのリン


        

えっ!こんなすごいの?!ここ・・。 2014/10/18 
 

 最近、また運動不足で、太ってしまった。
 今日は、天気もいいので、ちょっとエクササイズも兼ね、山登りしたい。


 ”どこに行こうかな・・・ 
             そうだ !
               当HPの手薄な場所、鹿沼の城に行こう!”


     



 行き先は、以前から気になっていた金ケ沢城に決めた。
 山が高くて、ちょっと奥まっているが、
 資料を見ると、未整形の曲輪と堀切だけの小さな城に見える。





 
 ”ここだったら、いい運動になるな。
               時刻は、午前10時30分。
                          山に登っても、昼前からは見れるな・・・”






 
 そもそも、軽い気持ちで出かけたのが、誤りだった。




                
山は____
  
               怖い






     






  
午前10時30分





駐車場は、はっきり言って、無い。

古峯原街道から、天王橋で大芦川を渡る。
正面の神社横、小さなスペースに駐車させて頂く。















 神社から城跡へ向かうが、最初はすごい急斜面。
 よじ登るように、4つ足で登る。

 正直言って、あまりお勧めできないルートだ。


 しかし、登りつめれば、
 ご覧のような緩やかな尾根に出る。


 楽勝!!

 と思っていたら、ここからが長かった_____










          長い登りが続き、主郭に着いたのは、午後12時前だった。



    



 


    既存の調査図面を見た感じだと、せいぜい1時間もあれば、余裕で描けると思っていた。




 ところが、ギッチョン!
 金ケ沢の遺構のスケールに驚いた。
 それぞれのパーツが結構大きい。 
 削平地も少なく見えるが、斜面の縦堀、堀切の規模は半端じゃない。




         
「 こりゃ、ゆっくり描いてたら日が暮れるぞ。
         あんまり、時間がないな・・・・・・・・・」



          ◆現地縄張り図

   
 


 管理人にはトラウマがある。
 若かりし頃、馬鹿な仲間と、神奈川の足柄城で遭難しかかった経験だ。

 
山懐(やまふところ)深い城にも関わらず、帰るための時間を考慮しなかった。
 そのため、下山途中で日が暮れてしまった。
 運の悪いことに、懐中電灯も持ち合わせていなかった。
 とにかく早く帰りたくて、こともあろうに危険を顧みず、沢伝いに下山した____
 管理人の暗い経験である。



 そんな不安が、今、蘇る。
 秋から冬にかけては、日照時間がどんどん短くなる。

 
 山の中で、暗くなられるのは、もう嫌だ。
 なにしろ、ここも山深い。
 何かあっても人は、まず来ないだろう。



 だから今回、下山を考慮し、金ケ沢の写真があまり撮れてない。
 ま、仕方ないか___________。
 



    




 
【解説】


    


 


     下は、主郭を巡る空堀である。
     先人の縄張り図のイメージから、大した規模ではないと決めつけていたが、とんでもない。
     結構、しっかり削平されているので、ビックリだ。
     
     今は途切れ途切れになっている部分もあるが、おそらく全周に堀がまわっていたのだろう。

           
       







 
     しかも、主郭直下にはクランクした大きな縦堀があるではないか!
     これにもビックリ。
 
     わかりにくいが、縦堀はまっすぐ下に降りて、写真右手に折れ、再び下に向かっている。

      
◆マウスを乗せよう
      







     主郭南には巨大な堀切がある。
     堀切は両サイドが縦堀となり、斜面を下る。
     写真は、その縦堀部分を斜面より見上げたもの。 

     
     








    主郭南のメインの虎口。
    ”鹿沼の城と館(鹿沼市業書7)”では、明確な枡形虎口となっているが、
    現状はかなり不明瞭___

    __ただ、重要な虎口であるのは間違いなく、虎口周りが縦堀で固められている。
    

     
     





 さて、この虎口廻りを詳しく見てみよう




 虎口から下には
道痕①がのびている。

 先に進むと、道は消えてしまうが、
 
縦堀2の間に隙間があることから、
 道は、この間隙を通っていたと考えられる。


 また、図に示すように、
道痕②も見受けられる。

 土塁が2段構えになっている所から、
 ここも通路として使用されていた可能性もあるが、
 逆に、

 縦堀4
縦堀2の間を上がってくる敵を防ぐために、
 土塁を高くしているとも考えられる。

 

 


 よって筆者の考えはこうだ。

 まず、
尾根Aを登ってきた敵を、縦堀4が山腹への敵の回り込みを防ぐ。
 自然と敵は、
縦堀2の間隙方向に導かれる。
 これが
規制②

 その後、今度は
縦堀1が、敵の山腹への回り込みを防ぎ、虎口に導かせる。
 これが
規制①

 つまり、この
規制①②の目的は、
   
尾根Aから上がってくる敵を、虎口に誘い込む為にある。

 これは、非常に巧妙な技と言わざるを得ない。




  





 さて、この築城者の警戒している方向は、
 縄張りから推察することができる。

 この城の場合、
 赤く網掛けした方向を警戒していた。


 理由は、二つ。

 第一に、
 尾根と尾根を繋ぐ曲輪・ルートの配置である。
 敵の侵入経路に備えて、
 これらは臨機応変に兵を移動できるようにしている。


 第二に、
 この方面の尾根に対する、堀切、縦堀の数が多い。
 これも、警戒方向を示す理由となる
    









   さて、この警戒方向を地形図で見ると、どうなるであろうか?
  それを示したのが下図である。

            ◆国土地理院


  金ケ沢城は、明らかに東方向を警戒している。
  そして、その警戒する東の懐には、綺麗に久我城と龍階城が鎮座する。
  
  聡明な方は、私は何が言いたいかお分かりであろう。

  そう。。。


  
この3つの城がセットになって、この領域を支配していたと考えられないだろうか?
  
  標高の低い久我城と龍階城。
  管理人には、その目の届かないところを、この金ケ沢城が補佐しているように見えてならない。
  ”鹿沼の城と館(鹿沼市業書7)”では、金ケ沢と久我城は地元・久我氏の城であったという。
  龍階城については築城者が不明としているが、上記より管理人は、久我氏の城と考える。




  同じく”鹿沼の城と館(鹿沼市業書7)”では、立地条件と周辺地名から、
  龍階城は、久我城・金ケ沢城に備えた陣城と評価されており、管理人の見解とは異なっている。

  こりゃ、龍階城も行かないといけないな____。


  読者の方々は、いかがお考えになるであろうか?


           


    


 あたりを見回すと、日が陰り始めたような気がしてきた。

 「やばい!山の中で日暮れになったら大変!」

 昔の暗い過去が脳裏をよぎる。
 
 急ピッチで城の図面を仕上げ、とにかく下山しなければ!!!_____

 大汗と冷や汗が入り混じる。
 気ばかり焦る!!


       しかし、大慌てで下山してみれば、時刻はまだ三時だった。。。。。。。。。。。。。

       

 
            
山は____怖い


 おかげで帰りの運転中、足がつって、どうしようもなかった。


                 
(金ケ沢城おわり)









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