2019











鹿沼市10 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします

①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある

薬定寺裏山の土塁?sk  『大久保城?』sk



薬定寺裏山の土塁?sk 位置マピオンのリンク

 なんだこれ!?  2015/5/29        

 
山には、”謎の遺構”というのは結構あるものだ。

 本ホームページでも、茂木町の河又城?や、塩谷町の後山城?等、城とは認めたものの、
 少々自信の無いものがいくつかある。

 ここ鹿沼にもそんな遺構があるというので、週末の有酸素運動を兼ねてやってきた。

                
◆国土地理院地図より

 
”鹿沼の城と館”に掲載されている『薬定寺裏山の土塁』である。

 

 
k

今回は、写真を随分失敗してしまって、お見苦しい事をお断りしておく。




薬定寺は、板荷の山間、『石尊山(せきそんさん?)』の中腹にある。



◆写真は薬定寺裏土塁のある山

        
◆薬定寺

どうもこの薬定寺というお寺は結構古く、結構な規模だったようだ。

下の写真の石幢(せきどう)は、
室町後期に栃木県周辺にだけ見られる大変珍しいものだそうで、鹿沼市の文化財に指定されている。

現在の薬定寺は、左写真の左側にあるのだが、この石幢のある場所は左写真の道路右手。

しかも、右手の方が谷あいが広く、お墓も真正面にある。
薬定寺は大正時代に一度焼けてしまったようだが、
どうも昔の寺の伽藍が並んでいた場所は、こちら側にあったように見える。

また,石幢(せきどう)には、永正9年(1512年)に作られたと刻まれていることから、
この寺からは、中世の匂いがプンプンしてくるのである。


 

       かつての薬定寺は、どのようなものだったろうか?



    









  
             







 さて、話変わって、この薬定寺裏手から、早速山に取り付いた。
 しばらくは細い尾根を縦走したのだが、下写真GPSの地点から、いきなり作業道が合流してきた。

 鹿害(ろくがい)対策で、杉にネットを掛けているようだ。
 それにしても結構な量なので、このあたりの被害は深刻なのであろう。
 確かに、下の薬定寺山麓一体にも、たくさんの侵入防止ネットが張られていた。


          





 
鹿害対策のおかげで、作業道はまっすぐ目的地まで導いてくれそうだ。
 人気(ひとけ)のない山に、私の熊鈴だけが響く。


                 



 
作業道は途中、二股に別れたりもするが、目的地に近づけそうな方向を選ぶ。
 それにしても、麓から比高200m近くあるため、なかなか目的地に着かない。



    
◆ひたすら作業道を登る管理人







 
 【解説】
           







ようやく、
目的地の稜線が見える場所まで上がってきた。

作業道で登れるのは、非常に助かるのだが、
ここまで登ってこれるとなると、
今度は遺構が作業道で潰されていないか?と心配になる。

しかし、それは無用であった。

道は、目的地の直下で止まっていた。







 
作業道終点


    








しかし、
目的地までの尾根に取り付き、登り始めると、
今度は、尾根反対側に別の作業道ができている!!


結局、この作業道は、目的地北の鞍部近くまで続いた。
後でわかったのだが、思ったとおり、山腹の遺構?が若干潰されていた。


     




    その鞍部近くが、下の写真である。
    明らかに人が切岸を作り、幅2m弱の細い帯状の曲輪が、腹巻状に山腹を取り巻いている。


       
  




よく見ると、なんとなく曲輪の内部は凹んでおり、
堀に見えなくもない。


”鹿沼の城と館”では、道の跡の可能性もあるとする。














その帯状の曲輪を、ぐるり山に沿って歩いてみた。

すると、山頂から南に延びる尾根上で収束している。














山腹を巡る帯状の曲輪は、ダラーんとしているが、
西斜面を除き、全体を覆っていることがわかる。



         




            







 







 さて、いよいよ山頂部である。
 標高、493m
 メインの場所なのに、すこぶるカメラの写りが悪くて申し訳ない。
 (後で気付いたのだが、マニュアルフォーカスになっていた)






先述の帯状の曲輪から上がること数分、早速土塁が見えてきた。

土塁の上に上がってみると、意外に太さがあることに気づく。
2mほどあろうか?
場所によっては、もっと太くなる。
           

 


 

 
勿論土塁は明らかに人の手で作られたものだ。
 自然にできたとは考えられない。

   
また、土塁はY字型をしており、三股に分かれるところだけ、四角い矢倉台状になっている。


       
            
◆マウスを乗せよう
     
◆東土塁上からY字中央に向かって撮影






 

土塁の南の平坦地には、
浅い窪地がなんとなく存在する。

何かしらの建築物があったのだろうか?





◆南より、土塁を望む






                 
                      
                    
  ◆マウスを乗せよう
        ◆土塁上北からY字中央を望む            
                        

           


 最初は高射砲の台座など、近代兵器の土木基礎かと思いきや、ネットで調べてみてもヒットしない。
 送電線の鉄塔の土台にはならないか?・・・、これもやっぱりネットにヒットしない。

 やはり、”鹿沼の城と館”の言うとおり、”トヤバ”(狩猟のための野営地)か、宗教施設なのだろうか?
 それらはどのような建物なのだろう?
 トヤバについては、残念ながら当方としては知識を持ち合わせてない。
 どのような遺構の事例があるのかもわからない。
 では、宗教施設だとしたらどうだろう?
 でも、何故Y字の土塁を築く必要があるのだろう?
 ・・・・・わからないのである。


 他には何か考えられないだろうか?

   ・風よけか?
     風よけならば、何故Y字か? 
  

   ・神社の土台か?四角い土壇は、奥の院か?
     そうならば、他辺Y字の土塁上は何を作ったのか?



  ・はたまた、やはり城なのか?
     では、そうならば、何故土塁をY字にしなければならなかったか?
     しかし、緩い斜面側に回る帯状の細長い曲輪は、明らかに何かを防ごうという、意識を感じる。



  
でも・・・・・・・・・


    
  結局今は、Y字の土塁の意味が全く説明できない。


                ◆現地調査縄張り図
 


              

 
 

 追加調査『石尊山』
 



 さて、結論が出ないので、目的地の先にある石尊山(せきそんさん)(標高594m)に向かった。
 ひょっとすると ”薬定寺裏山の土塁の先に、なにかあるかもしれない。。。” と思ったからだ。




       しかし、      
結果としては、山頂まで何もなし!  だった。。





 山頂は二峯に別れ、片方には小さく寂しい神社があり、片方には三角点と石祠がある。
 誰かが来るわけでもなく、ひっそりしている。


 地図にも載っている山なのに、はっきりした登山道など皆無である。


     
◆石尊山山頂







 そもそも”石尊山”という呼び名の山は、
 関東に十以上あるそうだ。

 もともとは、『石尊信仰』が大元らしい。

 石尊信仰とは、
 神奈川県の大山にある
 ”大山阿夫利神社の山岳信仰”である。

 山の頂きの岩石に神が司ると言う。
 確かに、この山も岩が多い山である。

 これが、関東地方に広まり、
 山の名前の由来となったようだ。









     
では、薬定寺の土塁が石尊信仰に付随するものか?・・・・といえば、



            やっぱり、なんとも言えない。。



       ※人工物であるものの、城とは断定できないため、城名タイトルに?付きとさせていただいた



                        (薬定寺の土塁、コンプリート)


 木戸ヶ沢 355.8mの小ピーク 2015/6/6
 
  
    全くよくわからない薬定寺の遺構。

    果たしてここは、なんだったのだろう?
    と考えていると、ふと、目に止まった山がある。

    それは、薬定寺土塁の山の西南方、355.8mの山である。

                       

  しかも、気になるのが『木戸ヶ沢』という地名。
  木戸は ”城戸” が転じた可能性を秘めており、城郭関連地名である。

  また、この山は、黒川に沿う板荷の谷津の真正面に鎮座しており、視界良好の要害の地にも見える。

         ひょっとしたら、こっち山が本城で、薬定寺の土塁はそれを補佐する施設なのでは?

  管理人は、早速現地に飛んだ。





    





 車は目的の山の麓の県道脇に置かせていただく。
 近くには、小さな安産の祠があった。

         




 早速、山に取り付くも、当然のことながら道などない。
 ひたすら直登である。

 最初は傾斜がきつかったが、頂上に近づくにつれ、なだらかな山容になってきた


        




  







             
いよいよ山頂だ!




        



      ・・・・・・と言っても、聡明な読者はお気づきだろう。
             
 はい(^-^)/ やっぱ、遺構なし。


      虚しい三角点表示が迎え入れてくれた。
           
  






           来たついでに、峯続きを探索。
           下記GPS地点まで来たものの、やはり遺構は確認できず。

 


        
 



      しかし、標高の高い山は、まだまだ草が少なく、歩きやすい。 また、どっか行っちゃおっかなー o(^o^)o

  
                                   (終了)








大久保城ほんとぉ???skマピオンのリンク

 第一回 ダメでしょ、これ 2015/5/31
 
  大久保城?は、下大久保の長昌寺の背後の山にある。


                 ◆後部が大久保城

  ”鹿沼の城と館”では、地元に大久保城の存在を示唆する書物があり、ここを比定地としている。

  同書でも、『城跡とは断定できない』としているが、


    
本ホームページの見解としては、
          
ここは ”限りなく城ではない” と考えている。


                

  お寺の方に伺うと、城だという話は聞いたことがあるようだが、
  よくよく聞くと、時期的に ”鹿沼の城と館” 編纂調査当時に聞かされた話だと思われる。

          『あそこが城じゃないかって、昔、なんか、そういう事調べている人たちがいたねー。』





  比定地までの道を聞くと、道はないので  「適当にどうぞ!!( ^o^ )✩」   と言われた。
  ちなみに長昌寺の字名をうかがうと、寺⚪️という。(…メモるの忘れて、わすれた!)

                 

                     





  山にとりついた。
  地形図上も、はっきり言って道がない。
  しかし、途中から、なんやら林道が合流してくる。
                    



      こちらも薬定寺土塁と同じで、鹿害対策の林道だ。




         ”これはありがたい・・”
  
      
      と思ったのだが、林道は比定地から離れたり近ずいたりするので、どこに行くかわからない。
      結局、尾根を直登することにした。






                   
     



     目的の城郭比定地に着いた。

     林道は結局、城郭比定地まで延びていた。

        




                          


    比定地は、確かに広くて平らであるものの、決定的にダメなのが 切岸がない!  
                    

         


      稜線続きには、下写真の土塁のような高まりがある。
      ただ、人が作ったようには思えない。
      大きな岩に堆積物が乗っかって出来た小山だろう。
              


  
      



 さらにそこから続く稜線には、堀切もない!
 土塁のような写真の高まりと平坦地の間には、堀状の窪地も見受けられるが、堀ではなさそうだ。
 なにもかも、自然地形に見える。
         




                     
   
窪地?堀ではなさそうだ






   
  










 
 とにかく山をあちこち歩き回ったが、城を決定付けるアイテムがない。
 地形を加工しない駐屯スペースとも言えるのだろうが、そもそもここに駐屯地を作る意味・目的もわからない。

 書いてるうちに、だんだん腹が立ってきた。
 ”鹿沼の城と館”の調査結果を尊重し、メインページに残しておくが、本当は ”情報調査” に載せたいくらいだ。




       言いたいのは
         真の大久保城があるとするならば、ここではないと考える。
 

  今後、新たな比定地が見つかる事を、期待しよう。 

                 ◆だめだ、こりゃ!

                          




  (蛇足)


 ちなみに、大久保城の比定地の東下側に、なだらかな舌状の尾根が見受けられた。


         
ひょっとしたら・・・・?

 
 と思い、歩いてみたが、城郭遺構は存在しない。


 管理人の勘は、やはりハズレが多い。

              
                    


 
 
                           (大久保城?ほんとはどこ?)






第2回 お天気山は大久保城?2015/09/30                 
 
 ※補足 本コラムは”城郭情報調査”にも掲載しましたが、場所がはっきりしないのは上記第一回と同レベルなので、本編側にも掲載することにしました。




       ”鹿沼市の城と館”で比定されている「大久保城」。

        管理人は、正直 「ここは城ではない」 と思っている。(※大久保城の記事へジャンプ



         
 では、一体どこなのか?
 

                     ■電子国土より

 大久保城の比定地は上図の真ん中、501mのピークである。
 しかし、ここには平坦地と、自然にできた小丘があるだけ。
 城と言うには、あまりにパンチが無い。

 そこで、長年の経験と勘で選んだのが①~③の場所。
 ①が ”お天気山” である。
 地形図には示されていないハイキングコースが整備されている。
 ついでに、大久保城比定地の直上、②777mの標高地点も見に行こう。
 さらについでだから、なだらかな斜面途中の③の小丘も見に行ってみるか!

                    
管理人は現地へ飛んだ


            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






 思い起こせば、最近近くの低山に、よく赴くようになった。
 管理人は、夏は城めぐりができず、だからといって、家でじっとしているのも不健康である。
 仕方なく、冬場に備えてのエクササイズのつもりで、低山に登りだした。
 しかし、やってみると結構楽しくて、ほとんど毎週のように出かけている。
 お盆以来、数えてみると、今回で九山目となってしまった。
    


 さて、お天気山に話を戻そう。
 お天気山の登山口を示すホームページや、ブログは少ない。
 管理人も訳もわからず、アタリをつけてやってきたが、的を外した。

 下写真は、下山してから撮影したものであるが、ここが登山口導入看板。
 上記、地図に位置を示したので、もし行く方がいらっしゃるのであれば、ご参考に。

         ※車もおける




 
 
    
■YAMAPより

 筆者がたどったコース図。
 道がしっかりしているところもあるし、無いところもある。

 しかし、案内板が多数設置されているので、迷うことはない。



 下の写真は、山麓のコース入口で、ここから登りが始まる。


 



                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




設置された看板には ”天久山” とある。
転じて、お天気山になったのか?

頂上に着くまでには、一の宮、二の宮の祠がある(後述)

   








コースには、このよう木やポストマーキングがある。

ただ、統一されておらず、黄色だったり、ピンクテープだったり、

白マーキングであったり・・・・


バラバラであるから注意しよう。














 そうこう言っているうちに、
”鹿沼市の城と館”の大久保城比定地が、対岸に見えてきた。










”一の宮”に着いた。
ちょっとした広場になっている。

拝んでから、”二の宮”に向かう。














             さらに登ると、巨岩に挟まれた”二の宮”だ。
             管理人は、ここで猪二頭と出会った。

             







 さらに登ると、お天気山につく。
 標高777m。
 お天気山、登頂完了。

 あたりを見回すが、城郭遺構は無い。。。。。。やっぱし。 

                


                                  

 
                         ここからの男体山方面の眺めは素晴らしい。

              



  


    
さて、管理人は、さらに稜線を東に向かう。
地図上に標高777mの記載がある地点だ。


途中、こんな怖い道もある。
写真左手は断崖絶壁!
道幅20cm!

            

標高777mピークが見えてきた。





                標高777mピーク頂点。
                縁起はいいが、やっぱり何も無い。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

                  




        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




     さあ、下山だ。
     下山途中に③の地点も覗く。

     やはり、何もない。。。。。。。。。。。。  



                     


       砂防ダムを超えて・・・・・・・・・・・
        







                             駐車場所に到着。
                             お天気山調査、完了だ。
                             

                   
大久保城は一体どこに!?


inserted by FC2 system