2019
鹿沼市10 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
木戸ヶ沢 355.8mの小ピーク 2015/6/6 |
全くよくわからない薬定寺の遺構。
果たしてここは、なんだったのだろう? と考えていると、ふと、目に止まった山がある。 それは、薬定寺土塁の山の西南方、355.8mの山である。 しかも、気になるのが『木戸ヶ沢』という地名。 木戸は ”城戸” が転じた可能性を秘めており、城郭関連地名である。 また、この山は、黒川に沿う板荷の谷津の真正面に鎮座しており、視界良好の要害の地にも見える。 ひょっとしたら、こっち山が本城で、薬定寺の土塁はそれを補佐する施設なのでは? 管理人は、早速現地に飛んだ。 車は目的の山の麓の県道脇に置かせていただく。 近くには、小さな安産の祠があった。 早速、山に取り付くも、当然のことながら道などない。 ひたすら直登である。 最初は傾斜がきつかったが、頂上に近づくにつれ、なだらかな山容になってきた いよいよ山頂だ! ・・・・・・と言っても、聡明な読者はお気づきだろう。 はい(^-^)/ やっぱ、遺構なし。 虚しい三角点表示が迎え入れてくれた。 来たついでに、峯続きを探索。 下記GPS地点まで来たものの、やはり遺構は確認できず。 しかし、標高の高い山は、まだまだ草が少なく、歩きやすい。 また、どっか行っちゃおっかなー o(^o^)o (終了) |
第一回 ダメでしょ、これ 2015/5/31 |
大久保城?は、下大久保の長昌寺の背後の山にある。 ◆後部が大久保城 ”鹿沼の城と館”では、地元に大久保城の存在を示唆する書物があり、ここを比定地としている。
同書でも、『城跡とは断定できない』としているが、 本ホームページの見解としては、 ここは ”限りなく城ではない” と考えている。 お寺の方に伺うと、城だという話は聞いたことがあるようだが、
よくよく聞くと、時期的に ”鹿沼の城と館” 編纂調査当時に聞かされた話だと思われる。 『あそこが城じゃないかって、昔、なんか、そういう事調べている人たちがいたねー。』 比定地までの道を聞くと、道はないので 「適当にどうぞ!!( ^o^ )✩」 と言われた。 ちなみに長昌寺の字名をうかがうと、寺⚪️という。(…メモるの忘れて、わすれた!)
山にとりついた。 地形図上も、はっきり言って道がない。 しかし、途中から、なんやら林道が合流してくる。
こちらも薬定寺土塁と同じで、鹿害対策の林道だ。 ”これはありがたい・・”
と思ったのだが、林道は比定地から離れたり近ずいたりするので、どこに行くかわからない。 結局、尾根を直登することにした。 目的の城郭比定地に着いた。 林道は結局、城郭比定地まで延びていた。
比定地は、確かに広くて平らであるものの、決定的にダメなのが 切岸がない!
稜線続きには、下写真の土塁のような高まりがある。 ただ、人が作ったようには思えない。 大きな岩に堆積物が乗っかって出来た小山だろう。 さらにそこから続く稜線には、堀切もない! 土塁のような写真の高まりと平坦地の間には、堀状の窪地も見受けられるが、堀ではなさそうだ。
なにもかも、自然地形に見える。 窪地?堀ではなさそうだ とにかく山をあちこち歩き回ったが、城を決定付けるアイテムがない。 地形を加工しない駐屯スペースとも言えるのだろうが、そもそもここに駐屯地を作る意味・目的もわからない。
書いてるうちに、だんだん腹が立ってきた。
”鹿沼の城と館”の調査結果を尊重し、メインページに残しておくが、本当は ”情報調査” に載せたいくらいだ。 言いたいのは 真の大久保城があるとするならば、ここではないと考える。
今後、新たな比定地が見つかる事を、期待しよう。 (蛇足) ちなみに、大久保城の比定地の東下側に、なだらかな舌状の尾根が見受けられた。 ひょっとしたら・・・・? と思い、歩いてみたが、城郭遺構は存在しない。 管理人の勘は、やはりハズレが多い。 (大久保城?ほんとはどこ?)
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第2回 お天気山は大久保城?2015/09/30 |
※補足 本コラムは”城郭情報調査”にも掲載しましたが、場所がはっきりしないのは上記第一回と同レベルなので、本編側にも掲載することにしました。 ”鹿沼市の城と館”で比定されている「大久保城」。 管理人は、正直 「ここは城ではない」 と思っている。(※大久保城の記事へジャンプ) では、一体どこなのか? ■電子国土より 大久保城の比定地は上図の真ん中、501mのピークである。 しかし、ここには平坦地と、自然にできた小丘があるだけ。 城と言うには、あまりにパンチが無い。 そこで、長年の経験と勘で選んだのが①~③の場所。 ①が ”お天気山” である。 地形図には示されていないハイキングコースが整備されている。 ついでに、大久保城比定地の直上、②777mの標高地点も見に行こう。 さらについでだから、なだらかな斜面途中の③の小丘も見に行ってみるか! 管理人は現地へ飛んだ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 思い起こせば、最近近くの低山に、よく赴くようになった。 管理人は、夏は城めぐりができず、だからといって、家でじっとしているのも不健康である。 仕方なく、冬場に備えてのエクササイズのつもりで、低山に登りだした。 しかし、やってみると結構楽しくて、ほとんど毎週のように出かけている。 お盆以来、数えてみると、今回で九山目となってしまった。 さて、お天気山に話を戻そう。 お天気山の登山口を示すホームページや、ブログは少ない。 管理人も訳もわからず、アタリをつけてやってきたが、的を外した。 下写真は、下山してから撮影したものであるが、ここが登山口導入看板。 上記、地図に位置を示したので、もし行く方がいらっしゃるのであれば、ご参考に。 ※車もおける ■YAMAPより 筆者がたどったコース図。 道がしっかりしているところもあるし、無いところもある。 しかし、案内板が多数設置されているので、迷うことはない。 下の写真は、山麓のコース入口で、ここから登りが始まる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 設置された看板には ”天久山” とある。 転じて、お天気山になったのか? 頂上に着くまでには、一の宮、二の宮の祠がある(後述) コースには、このよう木やポストマーキングがある。 ただ、統一されておらず、黄色だったり、ピンクテープだったり、 白マーキングであったり・・・・ バラバラであるから注意しよう。 そうこう言っているうちに、 ”鹿沼市の城と館”の大久保城比定地が、対岸に見えてきた。 ”一の宮”に着いた。 ちょっとした広場になっている。 拝んでから、”二の宮”に向かう。 さらに登ると、巨岩に挟まれた”二の宮”だ。 管理人は、ここで猪二頭と出会った。 さらに登ると、お天気山につく。 標高777m。 お天気山、登頂完了。 あたりを見回すが、城郭遺構は無い。。。。。。やっぱし。 ここからの男体山方面の眺めは素晴らしい。 さて、管理人は、さらに稜線を東に向かう。 地図上に標高777mの記載がある地点だ。 途中、こんな怖い道もある。 写真左手は断崖絶壁! 道幅20cm! 標高777mピークが見えてきた。 標高777mピーク頂点。 縁起はいいが、やっぱり何も無い。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さあ、下山だ。 下山途中に③の地点も覗く。 やはり、何もない。。。。。。。。。。。。 砂防ダムを超えて・・・・・・・・・・・ 駐車場所に到着。 お天気山調査、完了だ。 大久保城は一体どこに!? |