2019




栃木市7
  枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある
。 

壁谷城sk 『皆川城ゴルフカントリークラブ内の小山』



『皆川城カントリークラブ内の小山』 位置(マピオンへのリンク)  

 普通だったら,ここも城でしょ。   2013/11/30 2013~14冬 第8弾 
  
 皆川城の北はゴルフ場となっており、現在は立ち入りが制限されている。(
赤矢印部)
 もちろん、ゴルフのプレー中は、中に入れない。

 国土地理院



 しかし、かつては以下の写真のように、城の北方にも山林が続いていた。

 
 国土変遷アーカイブより 1948年



 


 1975年にはゴルフ場として開発され、皆川城と分断されてしまったようである。


 国土変遷アーカイブより







   しかし、よく見ると、その
山頂部は破壊の手を逃れている

         
  
  ひょっとすると
  
  この山も皆川城の一部とすれば、
        遺構が残っている可能性があるぞ(^O^)。

 
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   2013年11月30日、栃木市の協力を得て、管理人は当地の調査を行う機会を得た


   時刻は午前5:30

    車をクラブハウスに停めさせていただく。


   ゴルフ場側との約束では、プレー前午前6時~8時前に調査を終えて欲しいとのこと。

   ただし、この暗さじゃ城見学どころではない。




   時刻は午前6:00。

  

あたりが白み始める。

空には三日月が浮かんでいる。




















 時刻は6:10数分すぎ。

 だいぶ辺りが明るくなってきた。
 

 ・・出動。


 
 
 誰も居ないゴルフ場内を一人歩く。 
 ゴルフ場の管理人さんから教わったカート道を、9番ホールに向かって歩く。

 
 ほどなく、目的地にたどり着く。
 正面の山が目的の小山である。

           











 
         もったいぶらずに結論



     な~んも、ありましぇ~~っつ。










 

地図上では、おそらく、この辺。





なーんも、ないね。。。












これは、この辺。





完全自然地形(--;)。








 山の上は、なーんもなし。

 真っ平ら。

 ・・・ということで、結論としては、
城外ですな、こりゃ




 左が皆川城、右は調査の小山。





 ・・・ゴルフ場のカート道をプラプラ帰る。


                                


     振り返って、小山。

   すこしでも、遺構があれば苦労した甲斐があったのになぁ~。。。。。。
グッすん


   
            小山全景
 
 
かつて、遺構の無い事も調査の一環である、と言った人がいた。
 でも、やっぱ、遺構がないと疲れる。

 
とにかく、栃木市の担当の方、ゴルフ場の皆様、ご協力ありがとうございました。



                                       (終了)


  









壁谷城 位置(マピオンへのリンク)

 新城確認 ここ、壁谷城・・・たぶん、そうだと思う   2013/11/30 2013~14冬 第9弾 
  


『壁谷城』という城が、皆川城の支城として存在するという(※注・・本文最下段) 

しかし、その存在は全く明らかにされていない。
しかも、『壁谷』という字名が、どこなんだかサッパリわからない。







ところが、2013年、管理人は栃木市の地籍図を調査する機会を得た。
その時、皆川城周辺の字名を調査するうち、下記地図の場所に『字・壁谷』の文字を発見したのである。



  この『字壁谷』の周辺に”壁谷城”があるに違いない・・・???





 地形図を見ると、”字壁谷”のそばに210mの峯がある。

   ひょっとすると・・・・・・?










       





 


皆川城ゴルフ場の早朝踏査
の後、
          管理人は妙な虚脱感に(さいな)まれていた。

壁谷城の事は、前から気になっていた。


       『・・・行ってみるか。』














 


 車は目的地近くの柏倉温泉に。

 


 しかし、こんな所に温泉があるんだなぁ。















目的の山には、この神社を目指そう。



なぜか、祀られているのは聖徳太子。
この地と、どんな関係があるんだろう??


   ・・・ま、いっか!




とにかく、登り始めはこの神社である。









               さぁ、調査開始!












 ほどなく登ると・・・

           
わっつ!縦堀っ!


    








上からみると、こんな感じ。

明らかに、縦堀。






















  と、ここまではいいのだが・・・・・・

               ここから、しばらくは遺構と言えるものが無い。
  


            
「あれ、ダメかな??」










  と思っていると、突然、明らかな壁が現れる。






      







   さらに進むと大きな切岸がある。

      

  







その直下には浅いが、
      堀切?の跡が・・・





















堀切の西斜面はかなり埋もれているが、

縦堀のようだ。



















 で、結局図面にすると、こういう感じ。



      

 
 城の決めてとしては、浅い堀切&半分の縦堀、そして切岸のしっかりした一郭のみ。
 主郭を除く堀切間は、曲輪としての加工が甘く、パンチが効かない。
 

 栃木の城のバイブル”栃木県の中世城館”の中に記載がある「壁谷城」。
 これが、当地であるかどうかは、疑問も残る。
 


 しかしながら”壁谷城”ではないにしても、
       
何らかの城郭関連遺構であろうと、筆者は結論づける。



 本調査の前後、当HPのお客様・しぼれさんが、周辺の山を歩いて下さった。
 その結果、当地以外、城っぽい遺構は見当たらないそうである。


 
 よって、ここが”壁谷城”であった可能性は、かなり高いのではなかろうか。
 


 


(※注) ”栃木県の中世城館”の御辺城(箱森城)の解説文中に壁谷城の記載がある。



                                  (壁谷城  完)




 

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