2019






佐野市 4
 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします 
①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
   この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
   (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。  
③図は断りのない場合、上面が北を示す。
 パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある
。 

赤見駒場城sk

赤見駒場城sk位置マピオンリンク


ハイキングコースも結構つらい  2015/06/14
 
 
 こんな季節に城に行くなんて、いままでは考えられなかったが、最近、"高い山城だったら何とかなる!"と思い始めている。
 そんなわけで、ここ数回、鹿沼の山城を登った訳だが、大久保や薬定寺みたいに、訳の分からない城ばかり。
 管理人のストレスはMAX状態。
 ・・・で、またまたやって来てしまった。



 今回は、佐野市の赤見駒場城。
 城歴はハッキリしてないそうだが、

 管理人は足利・長尾氏が佐野方面を監視するために築いたと考えている。

 場所は、ほとんど現在の佐野市/足利市の境界。
 標高、約210メートル。
 ホームページなどの情報によると、近くまでハイキングコースが整備されている。
 また、既存情報からも、城域は小さそうだ。




                   
(こりゃ、楽勝だな。)



 と、思い、管理人は現地に飛んだ。





   



 ハイキングコースは、城跡まで片道2キロほど。
 何も無い獣道を歩くより、全然体力の消耗が少ないだろう。

 このコースは、足利よりの廃道の国道293を利用するものだ。
 塩坂峠トンネルができたことから、峠道部分の国道293は廃道となった。
 従って、この道は廃道関係のサイトで、よく紹介されている。
 
                         

 ハイキングコース出発点に行くには、足利インターで高速をおりる。
 一旦塩坂峠トンネル方向に進み、トンネル直前で旧国道に入る。
 下のような看板があるから、間違えることはない。

 
                           

 旧国道は前述の通り、廃道であるため、すぐ通行止めとなる。
            
 
 通行止めの場所には、ありがたいことに、ハイキング専用の駐車場が用意されている。
 何故か、駐車場には、人懐こいヤギが一匹リードで繋がれており、私を暖かく迎えてくれた。
     (今回、見学の最初から最後まで、彼としか会話できなかった。)

                                 
 
  


 ここから廃道・国道293号のハイキングコースに取り付いた。
 かつて、この国道には、たくさんの車が行き交ったろう。
 いまは、ペンペン草が生い茂り、荒廃の一途をたどっている。
 
          


                                 


 しばらくいくと、越床峠の手前で国道を離れ、山道に入る。
 ハイキングコースは立派で、道もしっかりしているし、道標もある。
 全く迷う心配はなさそうだ。
  


                                  


 廃国道から、しばらく歩いた。
 コースは、道がとても良いのだが、割とアップダウンがある。
 途中、幾つか小ピークがあり、登ったり降りたりの繰り返しは、結構体力を消耗する。

                  

 しかも今日は曇りだなのが、何しろ暑い。
 長袖シャツは、汗でもうグシャグシャである。
 山用の、薄手の長袖シャツを買わなくちゃダメだ。
 今回は金がないから、冬用のを着てきてしまった。



 廃国道から40分。
 やっと三角点255mの位置までやって来た。
 ここで、コースは足利市の樺沢城に向かう道と二手に分かれる。
 そちらを選ばず、迷わず、東に向かおう!
        

 

 ほどなく東に進むと、小ピーク手前に小さな堀切が現れる。
 浅いものだが、完全に城の遺構だ。
 ここが、赤見駒場城の最外郭になる。

         




      
◆現地縄張り図




 

【解説】

                

    


 ハイキングコースに突如現れた
堀切⑤
 ここが、この城の最外郭になるんだろうな・・・・。

      ◆東から撮影

    ◆西から撮影 



 
堀切⑤を渡り小ピークをのぼったら(下写真の地点)、ハイキングコースを東にはずれよう。

         



 

 
  すると、少し下った所に、赤見駒場城の二重堀切(
堀切③④)が現れる。
           ◆2重堀切

◆東側



     ◆西側 
 

 2重堀切は、写真で見るほどハッキリしていない。
 堀切の幅は、割とあるのだが、深さがない。
 南に延びる縦堀は、2本共に、数メートル下るとキッチリ堀を収束させる。

 北側については、縦堀というには、あまりにもダラっとした感じ。
 北斜面は傾斜がゆるいのだが、堀を積極的に掘っておらず、緩いままである。
 なんとも中途半端な処理だ。

 しかし、よく見ると、幅2メートルほどの道と思われるものが、この二重堀切北側直下に繋がっている。
 道は、現在、東西両端で無くなってしまうが、おそらく、この道を監視する事が、この城の築城目的のような感じがする。
 
 


 2重堀切を越えると、岩場があり、物見に使えそうだ。

        

 もちろん、岩場からは、北方向も、南方向も監視できる。
 2重堀切に近い事からも、道の監視をしていたという裏付けになりそうだ。
 

  
 
                        
 その岩場の先を進むと、さらに、小さな
堀切②がある。
 尾根を形成している岩石を切り崩し、堀としたようで、断面に岩が覗く。
 縦堀が、南北に延びるが、ここも収束点がしっかりしている。

     

◆堀壁面を東に向かって撮影












    ◆斜面途中で収束する縦堀


 

  


 この堀切を越えると、痩せ尾根が約20メートル続き、再び小さな
堀切①に出会う。
 これが主郭の堀切である。
 ここも、岩を切り崩して堀切にしており、特に南側の縦堀は同様に、キッチリ収束させている。

       

                  



 






◆主郭堀切南。縦堀はここから数mで収束

           



 

 その先は、涙型の広い曲輪が広がる。
 ここが
主郭である。
 おそらく、曲輪としてきっちり加工されているのは、この主郭だけと思われる。
 主郭からは、北・東・南方面の展望が良く効く。
           ◆主郭内部
 

 主郭東端からは、尾根が二手に東に延びている。
 それぞれの尾根に、きっちりとした曲輪を一郭配する。
 特に、北側の派生尾根には、うまく辿れないが、かつての道のような九十九折の道の跡が残る。

 ひよっとすると、この道は、さきほどの2重堀切下まで続く道に繋がるのかもしれない。
 そうなると、この城の意義は、佐野方面から足利へ抜ける街道監視にあるのかもしれない。

         (赤見駒場コンプリート)

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