【解説】
旧田沼町史に紹介されている ”藤四(郎)城?”は標高1000mにある。
見学するには”登山”の覚悟がいる。
しかし・・・・・・
もったいぶらずに、結論から申し上げよう
現地には、確かに人工と思われる土塁と曲輪が残る。
しかし、城とするには、全くパンチがない。
しかも、立地がめちゃくちゃ緩い傾斜地の鞍部である。
鞍部に城が築かれないわけではないが、
ここは、神社の跡?、山小屋?、炭焼き小屋?、鳥矢場跡?、関所?・・・・・etc
城とは目的の違う土木工事の跡ではなかろうか。
旧田沼町史は、どうして、ここを藤四(郎)城としたのだろう?
そもそも本当に城なのか?・・という疑問を持ちつつ、
町史の記載を尊重し、遺構の解説を行おう。
まず、全体から。
下のパノラマ写真は、遺構を東側から望んだもの。
※ここから縄張り図は通常(上が北)になります
そして、下のパノラマは西から望んだもの。
中央に土塁の切れ目がある。
土塁の切れ目は
虎口?と思われる場所だ。
土塁は、東面より西面のほうが若干高い。
写真は、土塁を南に向かって撮影。
この西面のほうが、土塁が高い。
これは同一土塁を北に向かって撮影。
土塁の東面である。
上の写真より高さが低い。
◆マウスを乗せよう
虎口?西前面には一段下がって
曲輪?がある。
確かに壁となっている。
南北両サイドは、自然地形
に吸収される。
つまり、壁になっているのは
虎口周辺のみ。
微妙だが、虎口前面には堀っぽい
溝もあるのだが・・・・
やっぱパンチがない
”守る 攻める 監視する”
が感じられないのである。
土塁の両側は以下の写真のような自然地形である
しかし、こんな標高の高い鞍部なのに
写真のような水たまりができる。
つまり、この高地に
水が確保できるのである。
人が住めるのかなぁ?
とにかく、仕方がないので、土塁前でポチット記念撮影
当地は藤原秀郷の弟、藤四郎の館ということである。
彼が、蓬莱山城(場所不明)に在城し、蓬山城と合わせて、
北からの敵の侵入に備えた、と言われているが、どうしてここなのか?
他にも、良さげな場所はいくらでもあるのに・・・・
その裏付けは、さっぱりわからない。
・・・・・・・・◆蛇足◆・・・・・・・
さて、よく見れば、この遺構の下には、地図にない林道が眼下に走っていた。
帰りはこの林道を下らさせていただこう。
よく整備された林道は、誠に気持ちが良い
林道途中は、エゾハルゼミの大合唱だ。
この光景を、山の上から女房に、メールで飛ばしてやろうと思った。
でも・・・・・圏外・・・
林道途中には、大規模工事の跡も。
しっかし、車も来ないし、快適な林道である。
途中、木が伐採してあり、とても気持ちの良い場所に出くわす。
気持ちの良い風。山形の立石寺を思い出す。
管理人は、おもわず切り株の横で一眠りしてしまった。
しっかし、すごいなぁこの林道。何のため作ったんだろう?
と、思いながら下ってきたところ、このような看板が!・・・・・・・
そう・・。
この林道は、まだ工事中で、立ち入り禁止なのでした。
どおりで、車が来ないわけだ。
工事の方、すみません m(. .)m
ということで、この遺構を見に来るときは、この林道を使えば良いのですが、
工事中で立ち入り禁止のようなので、お勧めできません。
(完)
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