2019
佐野市2 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
白岩山城sk |
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知らなかったら、城と思うだろうか? 2014/ 03/07 |
最近、雪ばかりで全く城に行ってない。 しかも、雪解けまで待たなきゃならなかった。 今週は、雪がちょうど溶けた頃・・・・しかも仕事に、ちょうど隙間ができた。 チャンス・・・・。 そこで、 以前から気になっていた白岩山城に行ってみた。 車を道路脇にとめて、早速調査開始。 写真中央頂点が、白岩山城である。 ん?・・・かなり高いか? 地図をご覧頂こう。 田沼町史を見ると、428mの山が城である。 今回は、本HPお客様しぼれ氏より、 白岩山と道路を隔てた対岸の山に、 堀切遺構?があるとも聞いている。 こちらも合わせて、調査しよう。 注意【城を訪れる方にはぜひ読んでいただきたい】 この城を訪れるとき、注意していただきたい事がある。 それは、この山に取り付く時、または下山する時に、 地図の赤点線(・・・・)の道路を使った方が良さそう、ということである。 というのは、このあたりは猪(?)被害が多いらしい。 だから高さ2mほどの防護柵が、山と田んぼの境界に、ずっと張り巡らされているからである。 行きと別の尾根を伝って下山した私は、柵のせいで川を渡れず、結局、赤点線の道路まで戻された。 私が手を焼いた防護柵を青線で示したので、参考にされた方が良いと思う。 さて、地図の赤点線より尾根に取り付き、早速調査開始。 山に取り付いて思った。 しまった この山、結構きつい。。。。。。 そうだよね、比高250mもあるのだ。 リハビリに選んだにしては、かなり過酷。 50過ぎの体に、この山はきつい。 取り付き直後は、とにかく急な斜面。 もちろん、道など無い。 一体、何回休んだろう・・・ なにしろ頂上が全く見えない上、下草はないが、岩や石がゴロゴロしていて、やたら滑る。 悪戦苦闘の末、40分ほどで、なんとか山頂に着き、図面を書き上げた。 |
【解説】 写真では暖かそうに見えるが、寒い上に、ものすごい風で、恐怖心を煽る。 しかも山頂は、岩がゴロゴロ。 断崖絶壁。 本来では、ここが主郭なのであろうが、 全く住む気など感じられない。 山頂は未加工な上に、人が一人か二人しか通れる幅しかないのである。 まず、山頂から北の尾根の山続きを観察する。 一段落ちたところに、狭い平面が見えたので行ってみたが、そこから先は断崖絶壁。 とても、尾根続きなんて見てられない。 左の写真は、その一段下の平面から山頂を望んだ所。 あまりの恐怖に画像に手がかぶってしまっているが、 その狭さがお分かりになろう。 下の写真は、そこから北の山続きを望む。 歩いてみたかったのだが、足元は断崖絶壁である。 諦めることにした。 しかし、すごい風だ。 怖い・・・(冷汗)。 城としての遺構(?)は山頂から、南西に続く尾根にあった。 小さな曲輪?があるのだが、それらはなんともお粗末。 管理人の図面も、それらしく描いたものの、ホントちんけ。 この城で唯一 人工ぽく感じるのは、この石垣。 なるほど、 浅利城のものと似ている。 でも、 10mも無く、終わってしまう。 わかりづらいかもしれないが、 上の写真の石垣の少し上横に、 ご覧のような、真一文字の石列も残る。 まわりの石より、少々大粒なことから これも石垣の天端であろう。 石垣遺構を、尾根下から望む。 ここが城跡だと知らなければ、見落としてしまいそうなものばかりだ。 さて、この石垣遺構の先にあるのが、堀切とされているこの地形。 これもまた、”堀切”だと言ってくれなければ、見落としてしまいそうな代物である。 さて、 石垣もある、堀もある。 しかし、ここが城跡と知らなければ、単なる自然地形と思われてしまいそうなものばかり。 山の頂きを使わず、遺構が山腹から始まる形態も栃木にあまり例が無い。 この城の伝承は無い。 そこからも、当地が本当に城なのか?と怪しんでしまう。 ここを城とするならば、 ① 山麓を通る旗川沿いの道を監視するために築いたと言えよう。 ② ①の街道の対岸、南側の山系を越えてくる驚異に備えたものであろうか? 遺構が薄く、どこまでを遺構と捉えるか・・ 描き手によって、大きくバラツキのある縄張り図が出来てしまっている。 遺構が遺構だけに、それは仕方ない事か。 (白岩山城コンプリート) |