2019
大田原市3 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
田中要害sk |
しばらくぶりに城見学。 2014/01/19 |
管理人はここんとこ、位置不明な城跡捜索ばかりしている。 しかも、成果は全く無く、空振り続きだ。 ”最近、俺、まともに城を見てないな・・・・・” と、そう思っていた。 今日は日曜日。 さて、何をしようかと考えていると、 女房: 「私、仕事だから!」 娘 : 「きょう、サッカー試合なんだ!」 息子: 「今日は、センター試験!」 ということで、あっという間に一人になった。 じゃあ、ちょいと出かけますかね! 月曜からは仕事だし、あまり疲れたくない。 パっと行って、パっと帰れる城がいいなぁ~。 そうすっと、コンパクトな城が多い黒羽あたりがいいかな・・・♥ 黒羽には、1日で回れそうな田中要害・大塚要害という手頃な城がある。 と、いうことで、2つの城をダブルヘッダーする事に・・・・。 最初の田中要害は、 なんで?こんなとこに!と、思う場所にある。 要害は写真中央の山。 まず麓のお宅に許可をいただく。 なんでも、城山は筍林となっているそうだ。 お電話で山の持ち主に連絡をしていただき、 お手間取らせて、申し訳ありませんでした。 |
とりあえず許可を頂いたので、山に登ってみれば、愛くるしい城が現れる。 綺麗な単郭の城である。 今は、かなり埋もれているが、 全周に堀がまわっていたと思われる。 主郭は、北半分が上部を除き未整形。 南半分をメインで使っていたのだろうか。 ただし、全体を覆う切岸はしっかりしている。 ①②③は尾根続きである。 各尾根続きには堀切等の施設はない。 主郭への入り口は、①である。 ③尾根にも現在主郭へ入る道があるが、 後世の改変と考えている。 まず、③の尾根から見てみよう。 ③の尾根下から、堀越しに見る主郭。 ここは、尾根部分なので縦堀状となる。 上から見ると、こんな感じ。 この城で最も堀っぽく見える場所の一つ。 尾根の反対側も現在明瞭ではないが、 縦堀が落ちていたと思われる。 北斜面の細い帯状の曲輪も、おそらく空堀跡。 全周を通して、大体、こんな感じで堀が巡る。 明確な虎口はココ一箇所。 ①の尾根から、嘴状の土橋となって主郭に登る。 この土橋周辺を、iphoneのパノラマ機能で撮ると、こんな感じ。 中央が土橋で、周囲を浅い空堀が囲む。 結構、雰囲気はわかるな。 田中要害は伊王野氏の家臣が作った城と言われている。 伊王野城の南方に広がる田園地帯を、守り・監視していたのだろう。 この城が ”「北の関ヶ原」時に築かれた” という人もいる。 白河に近いから、北の関ヶ原に結び付ける考えもあるとは思うが、 ここは単純に、在地の城で良いと思う。 また、ひょっとしたら!と、 周囲の山も歩いたものの、田中要害以外、遺構は皆無。 やっぱりなぁ~。 最近、この手の調査はハズレばかり。 ◆山の神神社 しかし今日は寒いし、風が強い。 ダブルヘッダー中止! この城だけ見たら、かーえろうっと。 (田中要害コンプリート) |