日光市
枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします

 ◆@記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆A『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆B図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。

          

寅巳城sk  岩崎城sk 愛宕山城sk 



寅巳城sk(城の位置)マピオンへのリンク

 copyright(c)2009masaki


◆寅巳城全景

寅巳城は『栃木県の中世城館跡』でも紹介されているものの、その歴史や遺構の記述に曖昧さが目立つ。
果たして、「城なのか?」という疑問を抱きながら、山に入った。
久々の山城。
かなりきつい調査になったが、結論として『立派な城跡』である事が明らかとなった。

【解説】
         

 寅巳城は、立派な城跡であった。
 基本的に、主郭から派生する支尾根を堀切でもって分断し、完結する構造である。
 図中 A,B,C,D,E,(F)が堀切である。

 では、その堀切の状態を紹介しよう。

 A:尾根の堀切 

 登山道を歩き、最初に出くわすのがこの堀切である。

 かなり、埋もれている感があるが、
 筆者はこれを見て、
 『寅巳城は単なる狼煙施設ではないな』と直感した。








                
                    
               Bの堀切              Bその縦堀
        
                     
:主郭に一番近い明瞭な堀切である
        

 
主郭(山頂)

 三角点のある主郭。
 登ると分かるが、この山はかなり岩の露出が多い。











 :山頂から南尾根の弧を描く堀切り

 調査する側としてみれば、あまり山の上り下りはしたくない。
 もちろん、体力的に自信が無くなって来ているからである。
 願わくば主郭下は、傾斜のきつい支尾根であるため、
 遺構はあって欲しくなかった。

 しかし、尾根が2股に分かれる直前に、堀切が設けられていた。

 このCは、尾根の曲線にあわせた、カーブを持つ堀切だ。





                               
     

                    
:さらにその下の堀切

 堀切の手前に、石の塊があるのがお分かりになろうか。
 この山には、石の露出が多い。

 堀切を掘ったことで、地面から出てきたものであろうか?
 これが、堀切の遮断効果を増していた、とも考えられる。











 :縦堀                     D:露出した石
  


          。
                    

 E:山頂東の遮断堀

 本城の中で、最も遮断色の強い堀切である。
 東に長く続く峰続きを、完全シャットアウトし、
 本城の守るべきエリアを明確に打ち出している。
          
 露出した岩盤による視角効果と、壁の垂直化で、
 従来の堀切の効果をより高めている














             岩盤が露出する遮断の堀切











 

 F・G:当城の北の守り=堀切がない?

さて、当城の北方の守りである。

これがまた、しっくりといかない。

寅巳城の特徴として管理人は、
   ”堀切までが城として必要な世界”
と判断していた。

各支尾根にはそれを示す様に、堀切が存在していた。

しかし、北方向=F・G方面には堀切がない。
尾根上を曲輪として加工しているようであるが
それ以上は何もない。

『堀切?』と書いた所もあるが、なんとも怪しい。
近世の加工の可能性もある。

Gには、土饅頭のような壁が残る。
しかしそこから先の尾根上には加工が全く見当たらない。

F・Gに続く尾根もできるだけ下りてみたが、
とうとう堀切遺構は発見できなかった。

つまりは、
北の守りは、このFとGの曲輪で完結させている事になった。







 
 I:柱状節理  

 城の帰り道  には見事な柱状節理の岩盤が飛び出す。
 写真に収め、帰途に付くことにした。












        この城には、狼煙台的な使用用途が与えられ、各解説書やHPには紹介されているようである。
        しかし調査してみると、立派な”城”としての機能と範囲が備わっていることが分かった。 

        狼煙用として、城内の岩石の存在を指摘しているものもあるが、
        山には至る所にたくさんの露出した岩が点在しており
        ”用途を狼煙だけのため”と解釈するのは、いささか乱暴ではなかろうか。

                     (
寅巳城 完)


追記◆登城ルートを紹介する◆


寅巳城の東裾野に広がる野鹿台団地。
この中に寅巳城の登山口がある。

登山口の近く、山の中腹に置こうと試みたところへ住民の方がいらした。

『ここにとめて置いても平気ですか?』との問いに
『たぶーん、大丈夫だと思うんですけどぉ〜、通報されたら御免なさい』

そんな事言われたら・・・・


ということで、結局野鹿台団地のはずれに置くことになってしまった。
登山口が団地内なのは厄介なものだ。


 山道は左手の家の壁際から始まる。
 この家は空き家である。
 この団地にはこういう家が目立つ。


 人気がないので、この道の入口に車の頭を突っ込んで駐車しても問題ないだろう。

       
                     山道に入るとこのような案内板がある。
                     管理人は左の登りコースを選ぶ。

                     左・登りルート・・・これは直登コース
                     右・下りルート・・・管理人はこちらを登り下りするのをお勧めする。

                     

管理人が選んだ左のコースは直登で、踏跡も浅い。
また落ち葉でかなり滑る。
もちろん下りに使うのはお勧めしない。。

息を切らし、やっと寅巳山の稜線に取り付くことができた。
左・寅巳山 右・下山コースで上写真の”下りルート”につながる





 図中の部分




上写真の看板から寅巳城を望む。
あと一息で山頂だ。













追加調査・最東端の堀切 2012〜13年度第12陣   2013/01/29 
 
【解説】

 当ホームページのお客様、しぼれさんの情報で、

             寅巳城の 
E堀切の更に東に、堀切がある

 という情報をいただいた。



 早速、管理人は現地に飛んだ。



 今回の堀切へは、
 情報提供者のしぼれさんのルートで城攻めだ。

 
 寅巳山の東方に南北に走る町道からだ。。

 今回の登城はこちらから。位置リンク
 
 ここに、なぜか結構な広さの畑がある。
 左写真の中央、左手に曲がる道があり、ここから入山。
 

 下写真は途中にある池。 雪が残り、寒々としている。
    





 さて、山に入って、情報提供のあった堀切を探しつつ、寅巳城方面に進む管理人であった。

 しかし、選んだルートが悪かったようで、結局、寅巳城のE堀切まで来てしまった。

 あれ??、ちょっと行き過ぎたかな。

●E堀切
    
    



 この城には2009年に来ているのであるが、4年前のE堀切の象徴的な岩の露出具合を比較してみよう・・・


●2013年                             ●2009年
  

       何一つ、変わってねぇ〜
(*´∀`*)ほっ





 何も変わらず4年ぶりに対面したE堀切に別れを告げ、管理人は東峯の再調査へ。

 しかし、山の稜線上を進も、なかなか堀切は出てこない。


 
 
「ほんとに、あるのかぁ????」と、思いかけたその時、











                           !
                           あった。





        
 


 


 管理人は、運命の人に出会った様に興奮してしまった。

 
J堀切だ。
 
 「こんな所に何故あるの???」


      位置リンク  
                           →WEB画面上で中心位置表示BOXにチェックを入れてください
                     
 




                  ◆マウスを乗せよう
   




 堀切は、縦堀を伴い確かにあった。
 E堀切からは結構な距離だ。

 しかも、少し変なことに、

 所謂城内方向より、城外方向の方が、
 壁が高い。


 


















 なぜ、城外の方が壁が高いのか・・・・・・答えは一つ。

 
ひょっとすると、
  この先にも堀があり、もう一つ、城があるかもしれない!!












       と期待してみたが、神様はそこまで親切じゃなかった・・・・・・・・・・・・。







 
 堀切だった可能性を持つ鞍部は存在しているが、
 決定的でない。

 やっぱり、寅巳城の施設なのであろう。










◆先端小ほり?

                    
(寅巳城 コンプリート)
 



ホームへ









岩崎城sk(城の位置)マピオンへのリンク

新城確認岩崎城 2011/04/03


この時期、不謹慎かもしれないが、激震が走った。

本ページ掲示板で頂いた
      しぼれさんの 「城なのでは?」 という情報提供・・・。

場所は、日光市文挟・岩崎観音西の359mの山である。





胸を躍らせ、管理人が見たものは・・・・・・・・・!



  













これである!







 
  


        
すっつ!、すごい。。。。。


   こんな城が、なんで今まで気づかれずにいたのだろう・・・??。


     日光市の
新たな城の発見である。


          管理人は、地名を取って、岩崎城とした。





 【解説】

 西面の大きな3重堀切。
 L字に曲げられた、技巧的な堀。

 それに対し、古賀志山方面へ続く東面の防備の甘さ。

 この城の西には、小倉城が見える。
 北には、板橋城。
 両城とも日光勢力の城である。

 推論に過ぎないが、この城は宇都宮氏による、対日光勢力の城ではなかろうか?


                   


                      


 情報のあった岩崎城は、山深い位置にあるため、少し詳しく紹介しよう。 
                        (城の位置マピオンへのリンク



まず、車は、岩崎公民館前に止めさせていただく。

 

      すると、近くのお墓に、紫色の花が咲いている。
      良く見れば、それはカタクリの群落である。
      自然に生えている物は初めて見た。


               


さて、解説に戻るが、

一番わかりやすいのは、麓の岩崎観音から登るルートだろう・








 岩崎観音参道。
 
 子授かりの観音様が、奥の院に祀られている。











  



    細い階段を上がると、拝殿が見える。

    この日も若いご夫婦が、手を合わせていた。











    奥の院は、拝殿の後方の崖にある。
    最近整備されたのか、綺麗な銀ピカの階段で登りやすい。
    登ってみると、なかなかの迫力である。 


          

 






さて、ここから本格的に岩崎城に向かうのだが、

奥の院の途中にある”酒水岩”の看板から、尾根に取り付く。
















    






踏み跡程度の道が続くが、
赤いテープがあるので、それを頼りに進む。



城にたどり着くまでには、
途中いくつかのピークを乗り越していく。







◆途中ピークにある祠。



               



                     
岩崎城に到着だ!


  
         
                     




 まづ、一つ目の堀切。
 大分埋まっているようであるが、
 東面の壁はしっかりしている。


       






 
          
           2番目の堀。
           巨大である。
       
                   

               






      





 3番目も深い堀切である。













 この堀切は、南面で一度
 クランクしている。
 横矢効果を狙ったものだろう。


 








                  小さな仕切りの堀切を経て、
                  主郭に到着。
                  
                  ここには一つの祠がある。

                 

   










主郭からは、緩い尾根が東へと続く。


そして、当城最東側の堀切。











          
                                     

     

       堀切は、南面で浅めであるが、縦堀となる。
    
   

 最後はL字に曲がり、
 
 支尾根を分断する、堀切となる。

 この縦堀には浅い堀が、並行する。
    






              さて、ここまで観察して、遺構を振り返って見ると

              主郭に入るには、技巧的な虎口があることがわかった。。






主郭東のAの堀切を超え、Bの曲輪に入り、Dから主郭へ道が続く。

途中、
Cの短い縦堀は、BからDへ通じる通路を、わざと狭めている。
敵の侵入スピードを抑え、その間攻撃する時間を持たせる方法だ。

スピードの落ちた敵は、Cを通過の際、Dからの頭上攻撃を受ける。











 城全体を俯瞰してみると、3つの堀切は、完全に遮断の意識を持つ。
 城の西方向に抜ける通路を設置していない事からも、この城は西から来る敵を、最重要視していることがわかる。

           

 
          何度も言うようだが、この城の西には、日光勢力がある。

           当城の構築者が、宇都宮氏ではないかと、筆者が想定する由縁である。


  ◆西に見える小倉城
     ◆中央左よりが岩崎城


 


    麓の手打ち蕎麦屋で一服して、
    帰路に着いた。


                          (岩崎城・完了)

ホームへ









愛宕山城sk(城の位置)マピオンへのリンク

愛宕山城 小来川 2011/05/03 
【道案内】

日光市小来川に、城跡が発見されたと聞いて、やってきた。

”中世城郭研究 24号” で偶然発見!ということで報告されていが、これが全く間違い。

より早くこの城に気づかれた人が居る。。

本ホームページリンク先でもある山歩きサイト”ようこそしろうと山やの部屋への ”しぼれさん” である。

中城研の発表よりも前に 「城ではないか?」 と思われていたらしい。

という意味では、しぼれさんが第一発見された城である。


岩崎城にしかり、まったく山歩きをしている方の情報は、あなどれない。






 車は、近くのふれあいの郷 交流館に置かせてもらう。


        

 看板が設置してあり、愛宕山へのハイキングコースは
 すぐわかる。













 田んぼの畦道を歩くと、遊歩道の看板が。。。























     しばらく登って、八坂神社に到着。

























  そこから数分で、愛宕山の頂上だ。


 結論。

    
やっぱ、立派な城ですね。















【解説】

 主郭には、先ほどの祠が鎮座する。


 
            この城は基本、”主郭+各尾根に1段の削平地” の城である。
            尾根の一つ一つに沿って、解説してみたい。
            ◆愛宕山彩色図








まず、南の尾根。

主郭下に堀切は無いが、しっかりした壁が残る。
    


  


















      
その壁を下から見上げると、ご覧の通り。
      小さい城ながら、キッチリ高さがある。
       

  














 
次に、主郭から東尾根へ

 しっかりとした土橋と、堀切が残る。

 ただ、この土橋は、愛宕社に向かうため、
 整備されて出来た可能性もある。

 なぜなら、
 土橋にコンクリート(板?)が敷いてあるからだ。
   

 







             
さて、本日のハイライト。

             主郭北の尾根、
                   
大堀切である。

          
                   
  写真は、北尾根上から主郭を撮影。手前は大堀切。
                         







 
主郭方向から堀切を望む
    






















 
堀切の西側斜面縦堀内から、
 上部を眺める。

  























   
かわって、主郭東面の縦堀内から、
   上部を眺める。
     



      本当に、良く掘った!




















 本当に立派な堀切で、
    完全に遮断の堀切である。
 
 北尾根からの連絡は、
    殆ど考えて無いだろう。

  



























 
帰りは、主郭東尾根を下り、正一位神社の横に出た。













         

          
  もうちょっと、早ければ、桜も拝めたのになぁ。

            後方の山が愛宕山城である。
 
 ちなみに冒頭の写真にも書きましたが、愛宕山後方の564m峰には、何もありません。
 あぁ〜、(ちか)れた。


                                           (完)



ホームへ



inserted by FC2 system