日光市
枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします

 ◆@記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆A『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆B図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。

猪倉城sk 板橋城sk 板橋陣屋sk



猪倉城sk 位置マピオンへのリンク

とにかく寒い猪倉城 第1回

会社の有休を利用して猪倉城へ。
今週は会社でコテンパンにやられ、まいっていた。
気晴らしだ!気晴らし!!


      しかし、今日は天気は良いが、とにかく寒い。



          まず、泉福寺へ車を留めさせていただく。
                                         
 谷あいのこの寺。 
                             なかなかの風情だ。


 
 

 
寺の駐車場からの眺め。

 おや、正面の山は・・・見覚えが。。
 
あっつ!
    寅巳城だ!


 この城との関連を考えなくちゃ。















         
                
                 
城の看板がある。
            いや、看板しかない。 
                主郭には当然、人影もない。
           
           鬱蒼とした森は
           
とにかく寒い・・・・・・・。
                


それでも、こんだけ必死で調べた。
偉い!!
(誰も言ってくれないけど・・・)


第1回調査エリア・未調査部分あり
【解説】

あまりの寒さに写真をあまり撮っていないが、紹介するとしよう。



 






 主郭内部。
 小さな神社が鎮座する。


















 
@主郭の壁
  (写真は縄張図内の番号と一致)


 なかなかの物である。




















 
A主郭壁


 寒くて手が震え、写真が撮れない。
 気分がすさむなぁ。



  
帰ろっかなぁ〜。









とにかく、上図のところまで書いて退散。
でも、あと1回来れば全部終わる。。という感じ。
とにかく寒かったけど、技巧的な城である

細かな考察・解説は、完成した第二回以降にしよう。

        

とにかく時間が無い猪倉城 第2回 h22 1月山上部完

いやぁ、今日は時間が無かった。
午後1時からの見学。

最近は日が少し長くなったとはいえ、PM3時以降はさすがに見づらい。
しかも、最近老眼、鳥目、近視、乱視がさらに進み、
とにかく日が暮れると遺構が見えない。

           

車をとめ、眼を留めると前回とは雰囲気の異なる寅巳城の風景。
泉福寺の御住職としばしお話をして、早速入山。

           


今回の課題は主郭の西方の曲輪と、北に続く尾根の調査。(前回の未踏査部)




   主郭西の堀切。
   巨大な壁である。







 
              

              主郭の西曲輪の土塁。
              今回は携帯の写真だから、画質がすこぶる悪い。

  

        いやぁ、とにかく時間が無かった。
        遺構を書き上げるのに、日没との競争だ。
        
山を走る!!
        おかげで汗だくだ。

       
         
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ、はぁはぁ。。。。。。。。。
    
          やっと終わった。
          汗だくの体で猪倉城全容を撮影。
          こんどは、もっと時間のあるときに来よう。

          さ、息子を塾まで迎えに行かなくちゃ。
                                 
                                        
      

       

性懲りもなく再訪 第3回 h22 2月20日
【解説】
性懲りも無く、また来てしまった。...
今日の調査の目的は、まだ行っていない本城部分に続く西嶺の調査である。
早速紹介したいのだが、その前に本城部分の写真を撮ってきたので、遺構を改めて紹介したい。



 泉福寺のすぐ裏手にある縦堀。
 本城部分に対し、橋頭堡的な位置づけになろうか。
 ここがメインの登城路であることは間違いない。
    
 




 泉福寺から2本目になる堀切。
 ここからが、いわゆる本城部分。

 



 ここからは、登城路を九十九折れにし、
 複雑に回し始める。
  

 




 主郭直前の崩落部分。
 危険ですので、くれぐれもご注意を。
 (写真左手が登城路です)








 




 分かりづらいですが、主郭直前の大きな枡形門。
    

 



 主郭直下の猪倉城の碑です。















 主郭です。











 







 主郭から西に向います。











 









 主郭西の大きな堀切。
 当城で最大です。

  





 主郭西の独立した曲輪の土塁。
 雪のおかげで、屈曲しているところが
 写真でも良く分かる。

 




 屈曲した土塁からさらに西へ。。



  











 その直下には、浅いが堀切が残る。



 









 


堀切を越えたところから、
屈曲土塁の曲輪を望む。



















 本城部分、最西端の堀切。

 ここから先は、未知の部分だ。

 




西の嶺続きの調査 h22 2月20日

 さて、本日のメインイベント。
 西の嶺続きにいよいよ突入である。

 下図を見ていただこう。 
 猪倉城は、城域を独立した山の東半分しか使っていない。(猪倉城本城部分)
 嶺続きの西部分はどうなっているんだろう?というのが疑問の部分だ。(今回の調査区)

 西の嶺続きは標高も城域部分とほとんど変わらない。
 先人達も調査をしているだろうが、情報が無いため、改めて自分の目で確かめたいというのが真意だ。

         









 本城部分から嶺は続く。
 ちょっと、狭めな嶺続きだ。





















 城域として取り入れるのであれば、
 堀切があってもよい。

 でも、何も無い。






















 しばらく歩くが、遺構は発見できない。

 諦めかけていると・・・





















 図中にある三角点にでた。
















    標高420m。やはり何も無い。


   嶺続きはまだしばらく続く。
   
   よし、しばらく行ってみよう。











 やはり、何も無いな・・・・・・・。



















山が降り始めた。
このまま下山だ!

という事から、

結論。 
西の嶺続きには、
      遺構は無い!

copyright masaki 2010
◆猪倉城彩色全体図

(猪倉城 完)


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板橋城sk(山上部)2009・11位置マピオンへのリンク



かなりむかついたが、気を取り直して・・・


  

 ■登城に際し








 板橋城の全容。
 とんがり帽子の頂上が”城山”である。


















   山懐の集落センターが登城用の駐車場になっている。
   広く、手も洗えるし、トイレもある。
   (後日知ったが
     実はここが山麓の居館跡らしい)








  登城口はこちら。
  道もきれいに整備され、登り易い。












 ■羽黒山





羽黒山の頂上に着く。

岩がゴロゴロしている山頂だが、
その周りを良く観察すると・・・・・・・・・・・・・
 
    






                  
            
ありました!縦堀!!!
                でもちょっと分かりつらいですね。

            
                
◆羽黒山遺構

            
                 
            これだと、分かりますよね。

            下から見上げてみた。

     



     この城には、こういう尾根を潰す縦堀が多い。
      詳しくは、後ほど解説したい。 










       さあ、さらに登ろう!





           

 山上に到着!




   ■山上主郭、2郭部分





 
 主郭部からは、
 すっごい、いい眺め!

  











  主郭との間の堀切が見える。

    



















 主郭と2郭の堀切。
 2郭側から望む。





















 主郭の堀切。
 主郭側から望む。





















 堀切断面。


















 しかし、いい眺め。
 まさに、城山である。













    





 木々の合間からは、
 男体山側も見える。


















 城の看板には、
 「石垣」と解説版が表示されている。

 しかし、これは
 自然石が露出したものだ。
 人の意思は入っていない。

 石垣ではない。

   




  


 ■3郭部分


 主郭南の3郭の堀切。
 

 看板の下あたりが堀。


    




  


 今はちょっと浅いが、遮断の堀切である。
 この城は、結構きっちり
      城域を規定している。

 





















 堀切は両袖で縦堀となる。
 上から望む。
   







  

 ■縦堀について
          
 ◆2郭下の縦堀
 さて、2の郭下方の縦堀だが、これは完全尾根上に設置されている。
 尾根を縦堀で潰し、歩きにくくしているのである。
 敵兵に尾根に取り付かせない配慮だ。

 これは、羽黒山の縦堀と全く同じ構造である。

 
          
◆羽黒山の遺構
 
        つまり、この城は東側から来る脅威に主に意識が向けられたと言える。
        明確な遺構はないものの 「コマノリバンバ」 と言われる平坦な空間も、
        城内兵の駐屯場所だったのかもしれない。

        城の東側は宇都宮氏の勢力方面である。
        この城が日光勢力側にあったという事は、一応うなづけるという事だろうか。。。


    
   


         
    
           再び、主郭へ戻ってきた。しかし、いい眺めである。


    山城はどこまで城域にするんだよ!と愚痴が出てしまうような所が多い。
    でも板橋城は、山上部にきっちり城域を集約している。
    派生する支尾根にはほとんど加工が施されていない。
    この城の特徴とも言える。
   
    
    この城には山麓に居館跡と言われる場所がある。
       今回は時間が無くて行けなかった。
(オヤジのせいだ)
               また時間を見つけ行ってみよう。

      
      でも、今度はマジであのオヤジに会いたくない・・・・・   

                 


(板橋城・山上部 完)
オヤジに大迷惑

板橋城で地元の年輩の方と遭遇し、城の話になった。
「この城の整備は私達がやったんですよ・・。」とそこまでは良かったが、、、、

 「鹿沼の何とかさんと・・・ 八方館は八宝と書いて・・・ 日光桜之坊がウンたらかんたら・・ 
         三十講白がうんたらかんたら・・・・ 直江兼続がなんたらかんたら・・」
と、止まらない!!

自分が憶えた文書の文言や、調べた限りを、とにかくしゃべり続ける。。。

    「時間が無いので失礼します!」 と切り上げた。

本人は知識をひけらかし、気持ちがいいのかもしれないが、
             こちらも貴重な時間を割いて城見学に来ているのだ。
こんな山の中で、お前の講義なんぞ全く聞きたくない。

        ホント、迷惑だ。
ちょっと歴史をかじった輩には、このような人が多い。
地元の方との語らいは楽しいものだが
話が長くなるのであれば
       山の中でも「お時間は大丈夫ですか?」などと確認するマナーが欲しい。




私は、おかげで見学後の約束時間に遅れてしまった。。。。。
 私は、こういうオヤジには絶対になるまい!と心に誓うのであった。

いくら山の中でも、これから自分も注意しよーっと。



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藪陣屋のこんちくしょー  h22、2月

copyright.2010.masaki

今日は、板橋城の直下の板橋陣屋へ。
ここへは、徳川政権時代に松平氏が1万石で入部したという。





 現地には全く案内する気が無い案内板がある。 。

 なぜかって?
 文字が全く読めません。








一帯は、周囲の田んぼより一段高い。


 



それにしても、すごい藪である。


 


 遠方から見ると、このような感じ。
 一段高いところが、陣屋跡。
 後方の山は板橋城山城部である。
 


           ここから藪に突入!!。。。。

              でも、その後とんでもない事になってしまう。
              それは、後述する事にして・・・次っ!




 陣屋内を通る道路の反対側には、
 斜面を登る土塁?堀?が見られる

 果たしてこれは、遺構なのだろうか?
   

  
 その土塁と堀?を上から下に向って眺める。
 電信柱の向こうは道路である。

 1番城っぽいところではある。













 また、この土塁・堀?のある山の斜面には、
 ところどころに縦堀状の溝が残る。

 これも、果たして遺構なのであろうか?


  




        
とにかく、藪だらけの石橋陣屋。
        その異常な藪は只者では無い。
        その理由が、約30年前の航空写真を覗いたら解明できた。


              
かつては、全面田んぼだったのである。

        
それが今は使われていない。
        日当たりも良く、肥沃な土壌ゆえ、雑草の生える温床と化している。

        陣屋の写真上部コーナー部には、開墾車の作業道までくっきり映っている。
        現在、曲輪内部には、畦のような土塁や段差が見られるが,,,,


               
だめだな、こりゃ。。。。。

        この写真を見る限り、曲輪内部は開墾され、
                   内部の遺構は失われていると考えたほうが良さそうだ。

 
     ◆国土画像観覧システム(昭和49〜50年 左上、右上、左下) Yahoo地図(現在 右下)より

大ハプニング!携帯電話紛失っつ
板橋陣屋。
藪の中で物を無くしたら、どういう事になるか・・・・・
今回は、そんな話だ。



2010年2月23日午前11時ごろ。
私は車の中にいた。

運転をしながら
携帯電話を助手席にのせ、妻からの返信を待っていた。
ほどなく携帯電話が鳴り響き、メールが届いた。

         ”城に行くなら、気をつけてね。何時頃帰るの? v(><)v”
車をとめ、返信した。
         ”直ぐ、終わると思うから、早く帰れる ☆”



        
・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまでは、良かった。。。。。

2月◆藪に覆われる板橋陣屋

現地に来て驚いた。
そこは一面の藪だったからである。

意を決して中に突っ込む。
どんな場所でも、確かめねばならぬ。

実は、この使命感が時として、災いとなるのである。







  がさ
    がさ
      がさ
















高さ、約2mほどの小竹が全面に広がり、行く手を阻む。
何も、見えない。
まっすぐ生えていれば、根元近くには足を踏み入れる隙間がある。
しかし、前日までに降った雪の重みで絡み合って倒れている所は、足の踏み場も無い。





  
藪が続く。
  微妙な段差が観察できるが、城のものか断定できない。。
        苦戦だ。久々の苦戦。。。







    藪が続く。
    歩くのもしんどい。
    歩測ができない。


















 
事件は起こった。

 1時間ほど歩いたろうか。。
 ふと気付くと、腰のベルトに付けていた
携帯電話がホルダーごと、見事に消えていた。


                   
やばい!!



          私は、今来た道を引き返すことにした。
                  でも、それが・・・・・
                       全然、藪でわからない!!!

                  




  あせった。
  とにかくあせった。。。。

         こんな藪の中じゃ、落し物が見つかるわけも無い。
         どこを、どう歩いてきたか足跡も分からない。

         分かっていたが、必死に探した。。。。


 











  
ない     ない!    ない!!     ない!!!  ないい!!  あるわけない!!


                
 だめだぁ、見つからない!
     
       そう思ったときに、足を藪に取られた。

                            
いたぁっ!

                           
                       
石に膝を思い切りぶつけ、ジーパンが破れ流血した。
                          もう、踏んだりけったりだ。。。。








     
もう駄目だ。。。。。。。半分諦め車に戻った。







     少し冷静になったところで、携帯電話をマナーモードにしていない事に気がついた。


            さっき、女房とメールした時、音が出てたよな。。

              
そうだ!!


     時刻は、午後1時半。
     まだ、間に合う。。

     一度家に帰り、別の携帯電話を持ってこよう!
     それで自分の携帯に電話を掛ければ、着信音で見つけることができるかもしれない!!
     それで駄目だったら諦めよう!!
    
     そう考えた私は、ここから一度家に戻り、自宅から子供の携帯を持ち出した。

                     


     ・・・・・・・


    午後2時30分。
    私は再び、板橋陣屋にいた。
    
    早速子供の携帯電話から自分の携帯に電話を掛ける。

    一、二度場所を変えたが聞こえてこない。
    あまり掛けすぎると、着信音で電池がなくなってしまうかもしれない。

    もう一度やってみた。

                 Trrrrrrrr!!!!

   んんんっつ!!かすかに聞こえるぞ!


                 
Trrrrrrrr!!!! (トルゥルゥルゥ!)
   

   今度は、はっきり聞こえるぞ!!





                
あそこだ!!


    

                  



  
あった!あったぁぁ!
 見つけたぞぉ!キセキ(奇跡)ダァァ。

                       先ほど、探した場所とは全く当てが外れていた。
                そんなものである。。

                          


                 
と、いうことで、板橋陣屋は強敵で、全然早く終わらなかった。。


  
 ※お詫び※城の話に全く関係なくてすみません。




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