那珂川町5 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします  

①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある



  

  武茂城
 本城  西城  東城(写真掲載のみ


武茂東城位置(マピオンへのリンク)

      このページでは、武茂城を、
                 
武茂本城、武茂東城、武茂西城と分割命名し、解説している。

                            マピオンより 




武茂東城・第1回(写真掲載のみ)  2012/05/05

 
乾徳寺の裏手は自然の宝庫。水芭蕉が大きく林立。

 
寺の自慢の藤棚の向こう側が武茂東城である。

 


写真はほんの一部。

ここは、縦堀と虎口を兼ねたものか?
城の最南端に近いところに位置する。


この城は、結構規模がでかそうだ。

来シーズンに楽しみにとっておこう。




                          




武茂東城・第2回(関東・関西合同見学会)  2013/11/22~242013~2014シーズン第7弾


 われらが中世城郭研究会、合同合宿2013!


 今年は、馬頭温泉「ささや荘」を拠点に、
 武茂の城砦群を回ることとなった。



 しっかし、変なカッコの怪しい集団やなぁ~











 踏査初日。

 烏山駅。

 電車で来る人がいるかもしれない・・・

 ・・と言うことで、駅まで来たものの、

 結局、誰も電車では来なかった。






 駅は工事中であった。







 余った時間で龍門の滝へ。


     歴史深い太平寺に寄ってみると、
     そこには見事なイロハ紅葉が。
     

       


           
 もちろん武茂城も、紅葉真っ盛り。めちゃくちゃ、綺麗だ。

       

今回は新調したスパッツで。


手袋も新調。



仲間を待ってる間は一眠り。



     


 
 さぁ、そろそろ
     おっぱじめ(始め)ますか!

          





武茂東城・第3回 図面作成     2014/06/28

解説】


 「さ、始めますか!」と前回言って、半年以上が過ぎてしまった。

 色々浮気しすぎて、東城の清書を怠っていた。

 では、今度こそ本当に、解説を始めよう。



  



 まず、東城の特徴は、他の西・本城と比べ、非常に
大きな曲輪取りをしている事が挙げられる。


 つまり、西・本城と設計コンセプトが違うのだ。
 大雑把で、細工が少ない感しがする。


 その代表事例が、この主郭の堀切である。

     
     

 上の写真は、主郭先の馬出状の曲輪から望んだ主郭の壁。
 手前に見える通路は、主郭まわりの帯状の曲輪に入り込む道である。





 


 非常に大きな堀切で、もともとの自然地形の大きな鞍部を、さらに掘りこんだという感じ。





 堀切の先は、大きな縦堀となる。
 ここで、北から侵入してくる敵を、完全にシャットアウトしようという意思が感じられる。
 当城の見所の一つと言えよう。

 







 縦堀を隔て、馬出状の細い曲輪がある。

 当曲輪から主郭に向かい、
 橋が架かっていた可能性もある。



 















    そのまま城を北東に向かう。

           主郭北東部には、もう一本堀切がある。



 こちらは主郭に比べ、
 規模の小さなものである。

 主郭とこの堀切間の曲輪も
 加工が甘く、おそらく自然地形だ。


 主郭前の橋頭堡的な役割と思うが、
 ここも馬出的機能を
 持っていたということになる。


 














     再び主郭に戻ろう。










 主郭内部には、
 写真のような非常に背の低い土塁がある。

 しかし、管理人には、
 この
土塁がどうも怪しく見える。


 





 第一の理由が、その位置。

 基本的に、この東城は、武茂本城の補佐的な役目をしていたと考える。

 そうなると、西の本城方面(乾徳寺側)に、この土塁がいるであろうか?
 敵は、東方面から来るのではなかろうか?

 と、いうことで、
筆者にはこの土塁が、削り残しに見えてならない。
 いまは鬱蒼としているこの主郭も、かつては畑で利用されていたのではなかろうか?
 その耕作時のやり残しのように見えて仕方がないのである。


 

 また、主郭の東側には、緩い尾根が広がり、階段状の曲輪が連続する。
 ここが、また
凄いヤブである。
 曲輪の形取りがなんとも難しい。

 と言うのも、地形図を見ると、ここ一帯も、かつて畑だったようである。
 今は放置されているため、雑草の生え方が半端じゃない。
 一応、縄張り図として描いてみたものの、
 果たして曲輪と評価して良いものかどうか、微妙なところである。

      
 








 さて、城をさらに南西に進む。

 主郭南には、おそらく登城口であろうスロープ状の小曲輪がある。
 これを超えると、小さな堀が存在する。
 堀切というよりは、”曲輪前面に土塁を置いた”というイメージ。

 おそらくこの土塁は、主郭の登り口を隠すために作られたと思われる。

               







 
 さらに南に進むと、階段状に配置された郭が続く。


 


 最南端に近い部分は、
 縦堀状の登城口と思われる虎口と、
 階段状の曲輪で、終了する。


 













        


 
 城の見学がほぼ終わったあと、全員で乾徳寺へ。

 武茂氏歴代の墓、宝筐印塔が連立する。  
 






 








ところで、この武茂東に非常に似た城がある。




  
 それは矢板市の泉城である。
 


 矢板の泉城も、主郭が大きな曲輪となって
 主郭自体が大きな障壁となっている構造。
 武茂東城と同じようなパターンとなっている。


 矢板市の泉城は天正末期に作られたことが知られている。
 極めて短絡的な考えで怒られそうだが、
 その形態から、
 東城も天正期につくられたと推定できないだろうか?


 だとすると、この城は、武茂本城よりも新しい城となるのか?










 まあ、 
 とにかく皆さん、
 こんなところまで、わざわざご苦労様でした。

 お疲れ様でした。

 
◆乾徳寺前で記念撮影
  



            


 最初から最後まで、紅葉が付き合ってくれた合同見学会だった。

                   
(完了)









inserted by FC2 system