2019
那珂川町4 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆@記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆A『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆B図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
武茂城 | ||
本城 | 西城 | 東城(写真掲載のみ) |
このページでは、武茂城を、
武茂本城、武茂東城、武茂西城と分割命名し、解説している。
マピオンより
武茂本城 2010/09/04 |
武茂本城の移築城門が残ると聞いて、那珂川町にやってきた。 場所は、 その山門が、かつての大手門と言われており、なるほど風格がある薬医門だ。 さて、寺の両側は、城跡である。 この寺には歴代城主の墓もある。 つまり、これら墓・山門は、今でも城の でも、そんな大切な山門の鏡柱に、青いポストが打ち付けてあったのは、ちょっとショック・・・・。 |
武茂本城 第2回 2012/03/25 |
最近、那珂川町の新城の確認ばかりに先走り、肝心の城を見ていない事に気づいた。 実は、武茂本城に来たのは全く初めてだったのだ。 武茂本城への取り付き場所は、静神社の参道。 長い階段を登る。 」 車は静神社前に駐車場がある。 安心して停めよう。 静神社。 お参りをして、早速城探索だ。 本丸を回る巨大な空堀(東面) とにかくすごい土木量だ。 本丸最北端の櫓台。地元では天守台と呼ばれている。 違う。ちがう。 明らかに違う。 那珂川町で発見された4つの城。 おしろやま、石生山、鳴神山、武部。 この武茂本城とは全然、違うのだ。 規模、テクニック、土木量・・・・。 武茂本城は明らかに新しい・・・完全に居住を目的にした城だ。 |
武茂本城 第3回 2012/05/20 |
武茂本城の図面がやっと出来上がった。 あと一回くらい修正調査が必要であるが、一度、暫定掲載させていただこう。 写真入りの解説は、後日! |
【解説】 現地案内板。静神社横にある。 主郭内の”天守台”と言われる土塁。 もちろん、天守はなかったろうが、大きな櫓が組まれていたのだろう 主郭を巡る堀。 斜面を下る主郭の堀。 巨大だ。 この感じは武茂西城にそっくり! そして、主郭北の堀切。縄張り全体図の”堀切B”の写真。 清々しいほどの堀切だ! |
武茂本城 第4回 修正調査 2013/02/01 2012〜3冬第9弾 2 |
第3回の図面をベースに、武茂本城の修正調査を行い、精度UPを図った。 |
【解説】 修正調査をしに、武茂城を再び訪れた いつもの通り、静神社に向かう。 雪の残る静神社。今年もよろしくである。 今回の修正調査は主郭西の山腹の曲輪。 下の写真の様に、雪が堀の状態をよく表してくれる 修正調査は西の山腹 主郭虎口 二ノ郭から静神社を望む。 一見、虎口又は登城路に見えるこのスロープは、 静神社造成の跡である。 造成のため四角くえぐられている事がわかる。 旧状は、この造作で破壊されたのではなかろうか。 さて、武茂本城全体を俯瞰してみよう。 堀切@〜Cの配置を見れば明らかであるが、 この城の防御は明らかに北に集中しているといえよう。 南方面は段々を重ねただけで、手薄な感が否めない。 ここから北に警戒する勢力とは何か・・? そう、那須氏である。 つまり、この城は那須氏を警戒して築かれているのだ・ 武茂城主・武茂氏は最終的には常陸・佐竹氏になびく。 現状遺構は佐竹に属してからの産物と言えるのではなかろうか。 おまけ ◆武茂城裏は安藤広重美術館である。そのとなりは郷土資料館。お立ち寄りください。 ◆武茂城城門として紹介した乾徳寺のこの門は、寺のパンフレットでは、武茂城自体の物でないらしい・・・・ ◆乾徳寺裏、ひょうたん池。現在はダムでせき止めてあるが、往時にも使われていたのではなかろうか? (武茂本城コンプリート) |