2019
鹿沼市9 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
容愛城sk |
容愛城sk 位置マピオンのリンク
その1 容愛城って何処? 2015/5/17 |
またまた、いい天気。 こないだ、下沢城に行ったら、まだまだ山の上の方は草が少ないことに気づいた。 どうしよっかなぁ~。 一度、今シーズンはもう終わりと決めた私だが、やっぱり体が疼いてしまう・・・・ 気づいた時にはハンドルを握っていた。 古峯神社に向かう、県道である。 今日目指すのは、鹿沼市・容愛城である。 「おっつ、目指す橋が見えてきたぞ。」 この城を目指すには、格好の駐車場が用意されている。 『西大芦フォレストビレッジ』の駐車場。 ただ、”車上荒らし注意!” の看板が気になるけどね。 駐車場にはウスバシロ蝶が、のんびりと飛んでいる。 ・・・・いい風景だ。 時刻08:55 鹿沼市のお城のバイブル『鹿沼市の城と館』 鹿沼の城が、地形図と明細な縄張り図で構成され、とても良く出来た本である。 この本によれば、目指す容愛城は、下図左の位置にある。 本では文字が入って潰れているが、地形図上では●の所になるということになる。 「 標高600mか・・・・・結構あるな。。。。」 描 ■鹿沼市の城と館より 容愛城比定地 ■国土地理院地図より ●部が容愛城の場所だろう 地形図には城まで、たいそうな道が書いてある。 早速、この道のとば口と思われるあるお宅の方に道をお伺いすると… 「道ぃ??? そんなもん、ねーよ。 あっちにはあるけどな。」 ・・・と、地図よりもっと東の方を指差す。 「とにかく行ってみな。 えっ?何? 城跡ぉ??そんなもの生まれてから聞いた事もねぇ。」 ”ま、そんなもんだろな。” と思いつつ、おじさんの指差す方向の道は、地形図上の道と、どうも合点がいかない。 『地元の事は、地元の人に聞け』というが、今回は自分の判断を信じ、おじさんの話には従わず、 彼のお宅横から、山に入らさせてもらう事にした。。。。。。 時刻 AM 09:19 最初は、なんとなく地形図とおりの道がある。 ”なんだ、あるじゃねーか。” と思いつつ、足元を見るとギンリョウソウが!! 野生のは初めて見た。 ■ギンリョウソウ 地形図から少しずれたが、峠道に出る。 堀切にもみえるが、道が両端に繋がっているため、切通しの掘り下げだろう。 時刻 AM 9:21 ■堀切ではない。峠の切通 ■傍らにある祠 で、ここから先は、おじさんの言ったように道がパタリと消える。 踏み跡、獣道レベルとなる。 地形図の道は、何を基に書いてあるのだろう?? 山では、結構痛い思いをしているので、 ここからは地形図と山専用のGPSを使い、目的地を目指す。 本ページでもGPSデータと地形図を平行し、 管理人の足取りを紹介していこう。 現地では帰りのことも考え、 尾根などの合流地点等に、自分の歩いてきた方向がわかるよう、 木に目印を付けさせてもらった。 とにかく山に履歴を残し、慎重に行動した。。。。 ・・・・・・つもりであった。。。。 ぜー、ぜー、ぜー。 最近歳のせいか、すぐに息が上がる。 ちょっと歩いては休み、ちょっと歩いては休み。 呼吸を整え、再び登る。 ちょっとずつ、ちょっとずつ、山を登る。 『まだかな。 なかなか城に行き当たらないな・・・・・・』 城を目指し、登っているつもりだった。 気づいたら、一時間以上も登っている。 ・・・と、何の気なしでGPSを見る。 時刻 AM10:27 GPSデータ 地形図 |
その2 容愛城ってどこなの?マジで。 2015/5/20 |
GPSデータ 地形図 完全に行き過ぎている事に気づいた私。 そのショックが、読者にはお分かりになろうか? へばってたとはいえ、城を見落とすほどボケていないつもりだ。 ”でも、ひょっとすると見逃したか?” GPSデータでは、高度725m±16mとなっている。 GPSデータ近辺の地理院地形図も、710m近辺。(上図) 私が、今いる場所は、ここに間違いない。 ”仕方がない!戻ろう!” せっかく登って来たのに、なんたる不覚! 今度は、行き過ぎないようにGPSを見ながら、今来た道を戻ってみよう。 ”鹿沼の城と館”の縄張り図では、 容愛城の特徴的な遺構として、堀切がある。 また、主郭内部には太い土塁もある。 これを見逃す事は、自分の中では考えられなかった。 時刻 AM10:34 GPSデータ 地形図(復路は紫ラインで示す) 再び、祠のある尾根の分岐点に戻ってきた。 ひょっとすると、 ”鹿沼の城と館”の位置図の間違いも考えられる。 慎重にあたりを見回す。 しかし、遺構らしきものは何もない。 時刻 AM10:34 GPS さぁ、いよいよ”鹿沼の城と館” の示す容愛城の位置に到着した。 GPSを眺め、其の壱を確かめる。 標高646±6m 今度こそ間違いない! のだが・・・・ ” 何もない ” 時刻 AM10:42 標高598±12m 尾根の先端にも行ってみる。 やはり、 GPS 地形図 これで、”鹿沼の城と館”の位置図の間違いは決定的となった。 刊行物の位置図ミスはよくある事だ。 しかし縄張り図があるのだから、事実、山の中のどこかに遺構はあるはず。 そこで、周りを見渡して見ると、標高を同じくして現在地の南側に、東に延びる長い尾根がある。 ”ひょっとしたら・・・・・・そっちか???” 時刻 AM10:52~11:01 地形図 GPSデータ 筆者の足跡 こちらの尾根は、今までの尾根とは一変。 非常に岩のゴツゴツした細尾根である。 こんなところに、城を築くわけがない。 管理人は上記地形図の場所で、 この尾根の調査を断念。 いったい、容愛城はどこにあるのだろう・・・・・・・・・・?マジで。 |
その3 とうとう見つけた!!容愛城 2015/5/21 |
時刻 AM11:14 東に延びる尾根の調査を諦め、再び元の尾根に戻る。 いちいち尾根線まで登り返しているのでは大変なので、山腹の等高線に沿って戻るのだが、 これが、結構体力を消耗する。 歩きにくいのである。 倒木があるのである。 滑るのである。 GPSデータ 地形図(さらにピンク線で示す) 時刻 AM11:19 再び、当初の目的地にやってきた私。 再々度、あたりを見回すが、やっぱり、無いものは無い! この時点で私の心は半分折れていた。 容愛城の場所が、この周辺で無いように思えてきたのだ。 歩き回ったせいで、相当疲労困憊していた。 しかもGPSの使い過ぎで、管理人の携帯の電池残量は5パーセントを切っていた。 ”ここまで歩き回ったんだ。 仕方ない。帰るか・・・・・・・・・・” 管理人は下山を決めた。 時刻 AM11:24 下山を始めて、尾根の分岐に出た。 ここには登りの時、帰り道を間違わぬよう、目印を付けさせてもらった場所である。 『この尾根の分岐。 行きはこっちから登ってきたんだな。 じゃあ、帰りはこっちか・・・・』 ちょと、待てよ。。 尾根の分岐?・・・であるということは、 ダメモトでこっちにも行ってみるか・・・・・。。 管理人は、行きとは別の尾根を下り始めた・・・・・・。 時刻 AM11:33 標高542±6m 見つけたぞ! 疲れが吹き飛んだ。。。。 |
その4 とうとう見つけた!!容愛城 2015/7/8 |
【解説】 とうとう見つけたぞ。。。。 早速調査開始だ! しかし、非常にハッキリした堀切である。 両サイドの縦堀の処理はほとんどしていない。 苦労して見つけた堀切は、非常に美しい。 写真ボケてしまっているが、主郭というべきか、 主郭の土塁というべきか。 おそらく、矢倉台と思われる大きな土壇が鎮座する。 主郭には、北側にスロープ状の土塁が伴う。 土壇へのは入り口なのか、 ただの土塁なのか、判断に悩む遺構だ。 主郭側面の状況。 ルートとして使っていたようだ。 ◆マウスを乗せよう 主郭へのルートはわざと折り曲げている。 古風だが、有効的なルーティングだ。 主郭下には、幅の狭い帯状の曲輪が点在する。 この城の歴史は明らかではない。 ”鹿沼市の城と館”では、地形図上の道がかつての古道であり、”この道を監視する施設ではないか”としている。 しかしながら、実際はこの道から、城の位置は大きくハズれていることが明らかとなった。 地形図上の道など監視できるはずもない。 つまり、城の位置も考察も、 ”鹿沼市の城と館” は完全に誤っている。 公の刊行物にしては、残念な内容となっている。 そこで改めて正しい城の位置を俯瞰してみると、 ここは字『鹿ノ入』の、川に囲まれた三角形の平野部を、眼下に見下ろす位置にある事はお分かりであろう。 つまり、この城の目的は、『鹿ノ入』という狭い領域を監視し、守るために築かれたものと言えよう。 (容愛城コンプリート) お疲れ様でした。 |