2019
鹿沼市4 枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
え~!?これホント城の遺構にしちゃってイイの!? 2014/12/14 |
昨日は飲み会で、体調不調。 しかし、せっかく自分の時間があるのだから、1,2時間で見れる城を・・・・ ということで、やってきたのは、鹿沼市の茶臼山城。 ◆正面の山が茶臼山城 で、調査結果から言ってしまうと、 これ、本当に城の遺構なの?って感じ。 ◆現況縄張図 その理由を述べてみよう。 ◆主郭方向を臨む 「本当に城の遺構なのか!?」と疑いたくなる理由は3つ。 ① 切岸に見える段は確認できるが、繋がりが無く、薄い ◆切岸? 左写真は切岸?のものであるが、 高くても1~2m程度。 しかも大半が連続性がなく 途中で途切れてしまう。 ② 明確な導入路、虎口、横堀などの付帯要素が無い。 城であるならば、切岸以外に城を決定づける要素が何かしらあるはずだ。 しかし、ここには無い ③ 2重堀と言われる遺構も、土取り跡のように見える。 ”鹿沼の城と館(鹿沼市業書7)”では、③の2重堀を、城としての決定打としているようである。 しかし、2重堀の両端は極めて斜面がゆるくなり、縦堀とも言えない。 堀状の溝は、どうしても道の跡に見えてしまう。 また、中仕切りの土塁状のものは、土取りの残欠に見えてしまうのだ。 しかも、堀の先の谷間には、段々畑の跡が数箇所残る。 ◆2重堀の中仕切り土塁? ◆堀切?状況 遺構が薄いのは、”急ごしらえの陣城であるから”と指摘するHPなどもある。 しかし、逆に、急ごしらえでもキッチリ残る陣城も、日本全国腐るほどある。 よって、”急ごしらえだから遺構が薄いとは決して言えない”のである。 以上から、 これらの城に見える遺構は、耕作地などの開墾の跡ではなかろうか? 「茶臼山」は城郭関連地名である。 茶臼が末広がり形状なので縁起が良いと、戦国武将が陣を張った場所に命名する。 当城も、他のHPや公の資料で、城跡として数多く紹介されている。 また、地元でも城があったと伝承があるそうである。。 しかし、かつて本当にここに城があったとしても、 この現状遺構を、 果たして築城当時からの物として良いのか? と、管理人は警鐘したい。 ということで、当HPでは本城を掲載させてはいただくものの、扱いとしては ? 付けとさせて頂こう。 |
【解説】 堀切?から見える主郭方向は、こんな感じ。 たしかに、切岸にも見える段々はあるが、何しろ気持ちが悪いくらいハッキリしない。 管理人がこれらを城の遺構として直感的に感じられないのは、この全体的な雰囲気である。 せっかく来たので、縄張り図は作成した。 しかし、切岸表現は、実線ではなく、敢えて点線またはケバ線のみで表現させて頂こう。 何度も言うが、この切岸は実に怪しい。 そのためか、写真も撮る気になれない。 数枚しかないが、撮影場所を明記させて頂こう。 たらたらした切岸 切削面のはっきりしない堀と称される場所 同じく切削面のはっきりしない堀と称される場所 どれもこれも実に気持ち悪いものばかりだ 茶臼山、おわり!(怒) |