2019





鹿沼市2  枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします

@記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
A『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
B図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある

荒屋敷・永林寺?sk 滝尾山城sk


荒屋敷・永林寺 (城の位置)電子国土へのリンク

ホント、城でいいの??これは、違うでしょ〜!  2013/03/02
          

鹿沼市の資料”鹿沼市の城と館”では、『荒屋敷・永林寺』として紹介されている場所である。
当の荒屋敷は、縄張り図の下手に当たる場所だが、さら地となっており、遺構は存在しない。



右写真のように、荒屋敷の東、永林寺の敷地西に2重の堀?がある。

”鹿沼市の城と館”では、
江戸以降に整備されたものか?』『永林寺の獣よけ?』
と注意書きされつつも、遺構として掲載されている。

が、管理人には、堀の可能性があるとは思えない。
単純に道の跡ではないだろうか。
現在も、その溝に道が並行している。










        




◆2重に走る堀?溝?


また、近くの永林寺敷地内に残る土塁の残痕も、城と決定するには、個人的には乏しいと思う。

土塁上には竹林しか生えておらず、新しさを感じる。
土取、土寄せでこの手の高さのものであれば、容易に作れてしまうと考えたからだ。

近代に墓地との境界等で作られた敷地境界とも考えられる。

とにかく”城”とするには、パンチが効いてないものばかりだ。



◆境内北の土塁?

◆同じく堀?



滝尾山城sk 位置マピオンのリンク

    

2011,1月・中城研例会場所 2011,01,23

2011年の初見学。
本当は昨年の例会の予定だったが、雪のため延期となり、本年に入りリベンジ。

とにかく、みなさんで栃木に来ていただけたのが、何より嬉しい。
とにかく、見学しやすい城である。
また、主郭までのルートが極めて明確な城である。


         

    ちなみにこれは、その時の参画者の写真。
    皆様、お疲れ様でした。




第2回 なんと3年ぶり!でも、下の城だけで、まだ未完・・・ 2014,03,23


 今日は女房が仕事で、午後から時間ができた。
 前の日が飲み会で、ちょっと体がだるかったが、せっかくなので重い腰をもち上げた。


             
さあ、どこ行こうか??・・・


 と、思ってたら、2011年以来、中途半端な当城があることに気がついた。


 


 前回からもう3年も経ってしまった。
 しかも、未だ未完状態。
 こんな城が、当HPには結構多い。
 ホント、読者の方には申し訳ない。
 何しろ、気分屋だから。。。


         




 滝尾山城については、こんなに立派な城なのに、写真があまり無い。
 完全なオサボリで理由にならないが、
 縄張りの複雑な城では、図描きに夢中になり、撮るのを忘れてしまう。





 これは、今回撮った。


 路脇に見える、縦堀断面である。

 
 




 でも、撮った写真はこれだけ。
 今回も図面を描きに夢中で、忘れてしまった。







 仕方がないので、2011年に撮った写真を引っ張り出す。
 でも、どこを撮ったかわからないものばかり。
 その中から、場所が割と特定できる写真2枚を掲載させていただこう。






主郭南の張り出し部

対岸に橋を架けていたのか?
でも、相手方にその痕跡がない。




 



























西は峯続きのため、
3重の堀切がある。

写真は、その2番目の堀。


 






























 ※車は、いつも滝尾山城の対岸のお寺に止められる。




















                               



第3回 滝尾山城完成図 2014/05/23
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  3年の時を経て、滝尾山城の図面が出来上がった。

 城域は、大きくA、B、C地区に分かれる。

 C地区は、鹿沼市の城館調査で、新たに発見された部分である。
 


    



 
【解説】

滝尾山城は非常に技巧的な城である。
特に、AエリアとBエリアにはそれぞれ主郭があると言って良い。
本HPでは積極的に使っていないが、「一城別郭」スタイルの城という奴であろうか。

この城の全てのパーツを解説すると、言いたいことがあり過ぎて、話が長くなる。
そこで、筆者の感じた各エリアの主要特徴をまとめ、滝尾山の解説としたい。






 エリア

 Aエリアの特徴は、なんと言っても『Aエリア主郭までのルート』であろう。

 



これが代表的なルートである。



主郭に上がるまでの道を見て欲しい。

何度もクランクさせ、何度も虎口を通す。
要所、要所には、枡形虎口を配置する。




極めて戦闘を意識した作りである。




























  エリア南
 
 『Bエリアの南下のルート』が、とてもおもしろい


 
AエリアからBエリアへ繋がる細尾根には、
おもしろい遺構が確認できる。


まず、図下方の食い違い虎口。
堀切りでいったん尾根を狭め、食い違い部に誘導する。
現在でも明確な遺構が確認できる。

問題は、その上。

微妙な段差があるのだが、
この段がルートをクランクさせていた公算が強い。

2つのルートが考えられる。
赤いラインまたは、オレンジのライン


最後はB主郭に入るところで枡形虎口となっている。








 エリア

 Bエリアの特徴は、『大きな曲輪取りと技巧的な作り』であろう。

 ◆B主郭


 


Aエリアに比べ、
Bエリアはいきなり作りが大きくなる。




作りが大きくなったからといって
技術的に手を抜いているわけではない。
虎口は、技巧的で素晴らしい。
















B主郭に入る虎口aは、
2の郭方向から入ると、ルートを二手に別ける。
    



主郭に入るものは、その先が枡形虎口となっている。
また、虎口手前は大きく2の郭に張り出して、
横矢掛けとなるる。

    






 



今回の調査で気づいたのが、
B主郭北の斜面に、石垣が存在することである。

最初は、ただの石が転がっているだけかと思いきや、
丸くつぶが揃っている。
川原石であろうか。

今はここしか見えていないが、
傾斜部に広い範囲で貼られている可能性もある。
















 『山麓の居館エリア?』




C地区は、鹿沼市の調査で見つかった。
B地区の縦堀状の道を辿ると、C地区に至るのである。


C地区南斜面に、縦堀が2条現存する。

図面中央の縦堀(下写真)は、非常に大きく目を見張る。
B側に縦土塁があることから、間違いなく遺構である。
中央部には堀は現存しない。
北側に残欠があるため、谷を横断していたと考える。
後世の改変を受けていると思われる。


さらに、その南に薄い縦堀が残る。
ここも、おそらく谷を横断していたのではないか。


C地区は 
A地区とB地区に守られた、
山麓の居住空間と考えられる。












◆図面中央の大きな縦堀写真

◆Cエリア 南側の浅い縦堀

以上、遺構を紹介してきたが、当城の歴史はあまり明らかで無いらしい。
聞くところによると、城主は壬生氏系であると言う。
壬生氏と言えば、後北条氏と手を組んだ。
このあたりの城が、妙に技巧的なのは、後北条氏の影響があるのではなかろうか?




滝尾山城彩色図完成 2015/03/02

 いまさら、解説を入れ替える気はないが、今後の為に滝尾山城の彩色図を作った。
 これで、滝尾山コンプリートである。


    



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